せきかんさい【関寛斎】
[1830〜1913]幕末・明治期の蘭方医。上総 (かずさ) の人。佐倉順天堂の蘭方医佐藤泰然に入門、長崎でポンペに学ぶ。のち、徳島藩医となり、戊辰戦争では官軍の奥羽出張病院頭取を勤め、晩年は北海道開拓に尽力。
せきたかかず【関孝和】
[1640ころ〜1708]江戸前期の数学者。上野 (こうずけ) の人。関流和算の祖。中国の天元術を改良して新しい算法を創造、帰源整法と命名。著「発微算法」。
せきはじめ【関一】
[1873〜1935]社会政策学者・都市行政家。静岡の生まれ。東京高等商業学校教授、大阪市長、貴族院議員などを歴任。社会政策を研究したが、招かれて大阪市助役・市長を務め、大阪港整備、市営住宅・公設市場建設など社会資本の拡充に尽力。著作に「労働者保護法論」「住宅問題と都市計画」など。