・・・しかもお提灯より見っこのねえ闇夜だろうじゃねえか、風俗も糸瓜もあるもんか。うぬが商売で寒い思いをするからたって、何も人民にあたるにゃあ及ばねえ。ん! 寒鴉め。あんなやつもめったにゃねえよ、往来の少ない処なら、昼だってひよぐるぐらいは大目に見・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・パッタリと闇夜に突当って予は直ぐには行くべき道に践み出しかねた。 今一緒に改札口を出た男女の客は、見る間に影の如く闇に消えて終った。軒燈の光り鈍く薄暗い停車場に一人残った予は、暫く茫然たらざるを得なかった。どこから出たかと思う様に、一人・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・それはこの村でのある闇夜の経験であった。 その夜私は提灯も持たないで闇の街道を歩いていた。それは途中にただ一軒の人家しかない、そしてその家の燈がちょうど戸の節穴から写る戸外の風景のように見えている、大きな闇のなかであった。街道へその家の・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
・・・冬の闇夜に悪病を負う辻君が人を呼ぶ声の傷しさは、直ちにこれ、罪障深き人類の止みがたき真正の嘆きではあるまいか。仏蘭西の詩人 Marcel Schwob はわれわれが悲しみの淵に沈んでいる瞬間にのみ、唯の一夜、唯の一度われわれの目の前に現われ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・の人々は、年に一度、月のない闇夜を選んで祭礼をする。その祭の様子は、彼ら以外の普通の人には全く見えない。稀れに見て来た人があっても、なぜか口をつぐんで話をしない。彼らは特殊の魔力を有し、所因の解らぬ莫大の財産を隠している。等々。 こうし・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・不思議にも、その小さい物が、この闇夜に漏れて来る一切の光明を、ことごとく吸収して、またことごとく反射するようである。 爺いさんは云った。「なんだか知っているかい。これは青金剛石と云う物だ。世界に二つと無い物で、もう盗まれてから大ぶの年が・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・雨上りの闇夜を、車輌のとどろきとともに運ばれてゆく喚声も次第に遠のいて、ついには全く聴えなくなってしまった。胸のどこかが引きはがされるような感じが苦しくしめつけるのであった。 私たちの周囲に見る女の生活、あるいは女が社会から求められてい・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・蝙蝠が夕暮とぶのを見る面白さも、闇夜の道に梟の鳴くのを聞く満足も、皆彼等が詩の世界に現れるものだからだ、と。 私は自らギッシングの心を二様に考えさせられた。 一方の考。――彼は本当に純な尊い文学愛好者であった。自分が文学者として如何・・・ 宮本百合子 「無題(四)」
出典:青空文庫