・・・山高帽を少し阿弥陀に冠った中年の肥大った男などが大きな葉巻をくわえて車掌台に凭れている姿は、その頃のベルリン風俗画の一景であった。どこかのんびりしたものであったが、日本の電車ではこれが許されない。いつか須田町で乗換えたときに気まぐれに葉巻を・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・細君の方は子供の帽子を気にして直しているが、子供はまたすぐに阿弥陀にしゃくり上げる。子供の顔はよく両親に似ている、二人のまるでちがった容貌がその児の愛らしい顔の中ですっかり融和されてしまってどれだけが父親、どれだけが母親のと見分けはつかぬ。・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・森の中でつくつくほうしがゆるやかに鳴いて、日陰だから人が蝙蝠傘を阿弥陀にさしてゆる/\あるく。山の上には人が沢山停車場から凌雲閣の方を眺めている。左側の柵の中で子供が四、五人石炭車に乗ったり押したりしている。機関車がすさまじい音をして小家の・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・ 車掌が革包を小脇に押えながら、帽子を阿弥陀に汗をふきふき駈け戻って来て、「お気の毒様ですがお乗りかえの方はお降りを願います。」 声を聞くと共に乗客の大半は一度に席を立った。その中には唇を尖らして、「どうしたんだ。よっぽどひまが掛る・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・ 大正三年秋の彼岸に、わたくしは久しく廃していた六阿弥陀詣を試みたことがあった。わたくしは千住の大橋をわたり、西北に連る長堤を行くこと二里あまり、南足立郡沼田村にある六阿弥陀第二番の恵明寺に至ろうとする途中、休茶屋の老婆が来年は春になっ・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・ カーライルが麦藁帽を阿弥陀に被って寝巻姿のまま啣え煙管で逍遥したのはこの庭園である。夏の最中には蔭深き敷石の上にささやかなる天幕を張りその下に机をさえ出して余念もなく述作に従事したのはこの庭園である。星明かなる夜最後の一ぷくをのみ終り・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・分際で人間を喰うというのは罪の深い事だと気が付いた、そこで直様善光寺へ駈けつけて、段々今までの罪を懺悔した上で、どうか人間に生れたいと願うた、七日七夜、椽の下でお通夜して、今日満願というその夜に、小い阿弥陀様が犬の枕上に立たれて、一念発起の・・・ 正岡子規 「犬」
・・・自分は阿弥陀仏の化身親鸞僧正によって啓示されたる本願寺派の信徒である。則ち私は一仏教徒として我が同朋たるビジテリアンの仏教徒諸氏に一語を寄せたい。この世界は苦である、この世界に行わるるものにして一として苦ならざるものない、ここはこれみな矛盾・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・が万物に充満していると説くところは、やや汎神論的に見えるが、しかしそれをあくまでも天地の主宰者として取り扱うところに、佐渡守の狂信の対象であった阿弥陀仏や、キリシタンの説いていたデウスとの相似を思わせる。そういう点を考えると、この書が佐渡守・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・仏教の日本化を最も力強く推し進めて行ったのは阿弥陀崇拝であるが、この崇拝の核心には、蓮華の咲きそろう浄土の幻想がある。そういう関係から蓮華は、日本人の生活のすみずみに行きわたるようになった。ただに食器に散り蓮華があるのみでない。蓮根は日本人・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫