・・・その日は薄雲が空に迷って、朧げな日ざしはありながら、時々雨の降る天気であった。二人は両方に立ち別れて、棗の葉が黄ばんでいる寺の塀外を徘徊しながら、勇んで兵衛の参詣を待った。 しかしかれこれ午近くなっても、未に兵衛は見えなかった。喜三郎は・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・霙と日の光とが追いつ追われつして、やがて何所からともなく雪が降るようになった。仁右衛門の畑はそうなるまでに一部分しか耡起されなかったけれども、それでも秋播小麦を播きつけるだけの地積は出来た。妻の勤労のお蔭で一冬分の燃料にも差支ない準備は出来・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・この度や蒋侯神、白銀の甲冑し、雪のごとき白馬に跨り、白羽の矢を負いて親しく自ら枕に降る。白き鞭をもって示して曰く、変更の議罷成らぬ、御身等、我が処女を何と思う、海老茶ではないのだと。 木像、神あるなり。神なけれども霊あって来り憑る。山深・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・雨はますます降る。一時間に四分五分ぐらいずつ水は高まって来る。 強烈な平和の希望者は、それでも、今にも雨が静かになればと思う心から、雨声の高低に注意を払うことを、秒時もゆるがせにしてはいない。 不安――恐怖――その堪えがたい懊悩の苦・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・その何番目かの娘のおらいというは神楽坂路考といわれた評判の美人であって、妙齢になって御殿奉公から下がると降るほどの縁談が申込まれた。淡島軽焼の笑名も美人の噂を聞いて申込んだ一人であった。 然るに六十何人の大家族を抱えた榎本は、表面は贅沢・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 雨の降る日も、この黒塗りの馬車は駆けていきました。風の吹く日も、黒のシルクハットをかぶって燕尾服を着た皇子を乗せた、この馬車の幻は走っていきました。 お姫さまは、もう、どうしたら、いちばんいいであろうかと迷っていられました。「・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
・・・するとじきまた、白いのがチラチラ降るようになるんだ。旅を渡る者にゃ雪は一番御難だ。ねえ君、こうして私のように、旅から旅と果しなしに流れ渡ってて、これでどこまで行着きゃ落着くんだろう。何とやらして空飛ぶ鳥は、どこのいずこで果てるやらって唄があ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・私は空を想った。降るような星空を想った。清浄な空気に渇えた。部屋のどこからも空気の洩れるところがないということが、ますます息苦しく胸をしめつけた。明けはなたれた窓にあこがれた。いきなりシリウス星がきらめいた。私ははっと眼をあけた。蜘蛛の眼が・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・それには丁度先刻しがた眼を覚して例の小草を倒に這降る蟻を視た時、起揚ろうとして仰向に倒けて、伏臥にはならなかったから、勝手が好い。それで此星も、成程な。 やっとこなと起かけてみたが、何分両脚の痛手だから、なかなか起られぬ。到底も無益だと・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・「雨が降るかもしれんで、ずっとなかへ引き込んでおいで」「はあ。ひき込んである」「吉峰さんのおばさんがあしたお帰りですかて……」信子は何かおかしそうに言葉を杜断らせた。「あしたお帰りですかて?」母が聞きかえした。 吉峰さん・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
出典:青空文庫