・・・佐佐木氏は兎に角声名のある新進作家でありますから、やはり『半肯定論法』位を加えるのに限ると思います。……」 * * * * * 一週間たった後、最高点を採った答案は下に掲げる通りである。「正に器用には書いている。が、畢竟そ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・自分が、ある芸術の作品を悦ぶのは、その作品の生活に対する関係を、自分が発見した時に限るのである。Hissarlik の素焼の陶器は自分をして、よりイリアッドを愛せしめる。十三世紀におけるフィレンツェの生活を知らなかったとしたら、自分は神曲を・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・ こんな相談は、故老に限ると思って呼んだ。どうだろう。万一の事があるとなら、あえて宮浜の児一人でない。……どれも大事な小児たち――その過失で、私が学校を止めるまでも、地じだんだを踏んでなりと直ぐに生徒を帰したい。が、何でもない事のようで・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・三鷹村深大寺、桜井、駒返し、結構お茶うけはこれに限る、と東京のお客様にも自慢をするようになりましたでしょう。 三年と五年の中にはめきめきと身上を仕出しまして、家は建て増します、座敷は拵えます、通庭の両方には入込でお客が一杯という勢、とう・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
一 臆病者というのは、勇気の無い奴に限るものと思っておったのは誤りであった。人間は無事をこいねがうの念の強ければ、その強いだけそれだけ臆病になるものである。人間は誰とて無事をこいねがうの念の無いものは無・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・、真に憐むべし、彼等は趣味的形式品格的形式を具備しながら其娯楽を味うの資格がないのである、されば今彼等を救済せようとならば、趣味の光明と修養の価値とを教ゆるのが唯一の方便である、品位ある娯楽を茶の湯に限ると云うのではない、音楽美術勿論よい、・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・へ彼女が現れるのは、大抵夫婦喧嘩をしたときに限るので、あんまり腹が立ちましたよって「月ヶ瀬」で栗ぜんざい一杯とおすましとおはぎ食べてこましたりましてんと、彼女はその安い豪遊をいい触らすのである。「月ヶ瀬」は戎橋の停留所から難波へ行く道の・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・恋は二十代に限ると思う。 もっとも中年の恋がいかに薄汚なく気味悪かろうとも、当事者自身はそれ相応の青春を感じているのかも知れない。しかし私は美しい恋も薄汚ない恋もしてみようという気には到底なれない。情事に浮身をやつすには心身共に老いを感・・・ 織田作之助 「髪」
・・・それが歌えるのは私の気持のいい時に限るのです。我善坊の方へ来たとき私達は一つの面白い事件に打かりました。それは螢を捕まえた一人の男です。だしぬけに「これ螢ですか」と云って組合せた両の掌の隙を私達の鼻先に突出しました。螢がそのなかに美しい光を・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・なんでも元気をつけるにゃアこれに限るッて事よ!」と御自身のほうが大元気になって来たのである。 この時、外から二人の男が駆けこんで来た。いずれも土方ふうの者である。「とうとう降って来やアがった。」と叫んで思い思いに席を取った。文公の来・・・ 国木田独歩 「窮死」
出典:青空文庫