・・・この径ではそういった矮小な自然がなんとなく親しく――彼らが陰湿な会話をはじめるお伽噺のなかでのように、眺められた。また径の縁には赤土の露出が雨滴にたたかれて、ちょうど風化作用に骨立った岩石そっくりの恰好になっているところがあった。その削り立・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・然しわたくしの知人で曾てこの地に卜居した者の言う所によれば、土地陰湿にして夏は蚊多く冬は湖上に東北の風を遮るものがないので寒気甚しくして殆ど住むに堪えないと云うことである。 不忍池の周囲は明治十六七年の頃に埋立てられて競馬場となった。一・・・ 永井荷風 「上野」
・・・後に迫って山を負っているため、陰湿だ。それに昔の支那――明人の建築には思いがけず木材など細いのが使用されてい、こせつき、複雑で、悠暢としたところがない。建物と建物とをつなぐ甃の柱廊は、美観の上で実に重大な役目を持つものと思う。崇福寺の建物は・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫