・・・ ああ云う都人もおれのように、東や陸奥へ下った事は、思いのほか楽しい旅だったかも知れぬ。」「しかし実方の朝臣などは、御隠れになった後でさえ、都恋しさの一念から、台盤所の雀になったと、云い伝えて居るではありませんか?」「そう云う噂を立・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
書紀によると、日本では、推古天皇の三十五年春二月、陸奥で始めて、貉が人に化けた。尤もこれは、一本によると、化レ人でなくて、比レ人とあるが、両方ともその後に歌之と書いてあるから、人に化けたにしろ、人に比ったにしろ、人並に唄を・・・ 芥川竜之介 「貉」
・・・ 元禄の頃の陸奥千鳥には――木川村入口に鐙摺の岩あり、一騎立の細道なり、少し行きて右の方に寺あり、小高き所、堂一宇、継信、忠信の両妻、軍立の姿にて相双び立つ。軍めく二人の嫁や花あやめ また、安永中の続奥の細道には――故将・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・はやくから切支丹屋敷に出掛けて行き、奉行たちと共に、シロオテの携えて来た法衣や貨幣や刀やその他の品物を検査し、また、長崎からシロオテに附き添うて来た通事たちを招き寄せて、たとえばいま、長崎のひとをして陸奥の方言を聞かせたとしても、十に七八は・・・ 太宰治 「地球図」
・・・夫人は陸奥の産である。教育者の家に生れて、父が転任を命じられる度毎に、一家も共に移転して諸方を歩いた。その父が東京のドイツ語学校の主事として栄転して来たのは、夫人の十七歳の春であった。間もなく、世話する人があって、新帰朝の仙之助氏と結婚した・・・ 太宰治 「花火」
・・・「わたくしは陸奥掾正氏というものの子でございます。父は十二年前に筑紫の安楽寺へ往ったきり、帰らぬそうでございます。母はその年に生まれたわたくしと、三つになる姉とを連れて、岩代の信夫郡に住むことになりました。そのうちわたくしが大ぶ大きくなった・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・仲平は六十六で陸奥塙六万三千九百石の代官にせられたが、病気を申し立てて赴任せずに、小普請入りをした。 住いは六十五のとき下谷徒士町に移り、六十七のとき一時藩の上邸に入っていて、麹町一丁目半蔵門外の壕端の家を買って移った。策士雲井龍雄と月・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫