・・・もっとも後になって聞けば、これは「本間さんの西郷隆盛」と云って、友人間には有名な話の一つだそうである。して見ればこの話もある社会には存外もう知られている事かも知れない。 本間さんはこの話をした時に、「真偽の判断は聞く人の自由です」と云っ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・坪内君がいなかったら早稲田は決して今日の隆盛を見なかったであろう。 文芸協会の成功は更に一層明白な事実である。腹蔵なくいえば文芸協会の芝居がそれほど立派なものだとは思わぬ。少くも見物してそれほど面白いとも思わぬ。沙翁劇にしろイブセンにし・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・戦いに敗れて精神に敗れない民が真に偉大なる民であります、宗教といい信仰といい、国運隆盛のときにはなんの必要もないものであります。しかしながら国に幽暗の臨みしときに精神の光が必要になるのであります。国の興ると亡ぶるとはこのときに定まるのであり・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・それは文芸の隆盛な時代は、大概太平な時代であったからである。そして、芸術が享楽階級の用立とされていたからでもある。徳川時代の戯作者は、その最もいゝ例である。 人情の機微を穿つとか、人間と人間の関係を忠実に細叙するとかいうのも、この世の中・・・ 小川未明 「芸術は革命的精神に醗酵す」
・・・和服姿の中畑さんは、西郷隆盛のようであった。 中畑さんのお家へ案内された。知らせを聞いて、叔母がヨチヨチやって来た。十年、叔母は小さいお婆さんになっていた。私の前に坐って、私の顔を眺めて、やたらに涙を流していた。この叔母は、私の小さい時・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・文名、日、一日と御隆盛、要らぬお世辞と言われても、少々くらいの御叱正には、おどろきませぬ。さきごろは又、『めくら草紙』圧倒的にて、私、『もの思う葦』を毎月拝読いたし、厳格の修養の資とさせていただいて居ります。すこしずつ危げなく着々と出世して・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ できるだけ余念なさそうな口調で言って、前方の西郷隆盛の銅像をぼんやり眺めた。馬場は助かったようであった。いつもの不機嫌そうな表情を、円滑に、取り戻すことができたのである。「ところが、――僕には小説が書けないのだ。君は怪談を好むたち・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・まち医者は三十二歳の、大きくふとり、西郷隆盛に似ていた。たいへん酔っていた。私と同じくらいにふらふら酔って診察室に現われたので、私は、おかしかった。治療を受けながら、私がくすくす笑ってしまった。するとお医者もくすくす笑い出し、とうとうたまり・・・ 太宰治 「満願」
・・・この前の乙亥は明治八年であるが、もしどこかに、乙亥の年に西郷隆盛が何かしたという史実の記録があれば、それは確実に明治八年の出来事であって、昭和十年でもなくまた文化十二年でもないことが明白である。 明治八年とだけでは場合によってはずいぶん・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 現代に隆盛を極めている各方面の通俗的な雑誌はこういう安価で軽便な皮相的な知識を汽車弁当のおかずのごとく詰め込んであるが、ただ自分のちょうど欲しいと思うものを自分の欲しい時に手にいれようとするには不便である。それには百貨店に私のこの提案・・・ 寺田寅彦 「夏」
出典:青空文庫