・・・ 富士のすそ野を見るものはだれもおなじであろう、かならずみょうに隔世的夢幻の感にうたれる。この朝予は吉田の駅をでて、とちゅう畑のあいだ森のかげに絹織の梭の音を聞きつつ、やがて大噴火当時そのままの石の原にかかった。千年の風雨も化力をくわう・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・容貌のみならずいろいろの性格に祖母の隔世遺伝がありあり認められるのに驚かされる事がしばしばある。 自分はこれまでにもうたびたび猫の事を書いて来た。これからもまだ幾度となくそれをかくかもしれない。自分には猫の事をかくのがこの上もない慰藉で・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・かつてわたくしが年十九の秋、父母に従って上海に遊んだころのことを思い返すと、恍として隔世の思いがある。 子供の時分、わたくしは父の書斎や客間の床の間に、何如璋、葉松石、王漆園などいう清朝人の書幅の懸けられてあったことを記憶している。父は・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・これを聞けば、ほとんど別人の名を聞くが如く、しかもその別人は同世の人のようではなくて、却って隔世の人のようである。明治の時代中ある短日月の間、文章と云えば、作に露伴紅葉四迷篁村緑雨美妙等があって、評に逍遥鴎外があるなどと云ったことがある。こ・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・ここがあの荒れ果てた三菱が原であった時分から思うと、全く隔世の感がある。しかし自分を驚かせたのはこの建て並んだ西洋建築ではない。これらはまことに平凡をきわめたものである。そうではなくしてこれらの建築に対し静かに眠っているようなお濠の石垣と和・・・ 和辻哲郎 「城」
出典:青空文庫