・・・「魔が妨げる、天狗の業だ――あの、尼さんか、怪しい隠士か。」大正十年四月 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・受持の時間が済めば、先生は頭巾のような隠士風の帽子を冠って、最早若樹と言えないほど鬱陶しく枝の込んだ庭の桜の下を自分の屋敷かさもなければ中棚の別荘の方へ帰って行った。 子安も黙って了った。子安は町の医者の娘と結婚して、士族屋敷の方に持っ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・世をのがれ、ひっそり暮した風流隠士のたぐいではなかった。三十四歳で死したるかれには、大作家五十歳六十歳のあの傍若無人のマンネリズムの堆積が、無かったので、人は、かれの、ユーゴー、バルザックにも劣らぬ巨匠たる貫禄を見失い、或る勇猛果敢の日本の・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・ 上野の始て公園地となされたのは看雨隠士なる人の著した東京地理沿革誌に従えば明治六年某月である。明治十年に至って始て内国勧業博覧会がこの公園に開催せられた。当時上野なる新公園の状況を記述するもの箕作秋坪の戯著小西湖佳話にまさるものはある・・・ 永井荷風 「上野」
・・・「橋の袂の柳の裏に、人住むとしも見えぬ庵室あるを、試みに敲けば、世を逃れたる隠士の居なり。幸いと冷たき人を担ぎ入るる。兜を脱げば眼さえ氷りて……」「薬を掘り、草を煮るは隠士の常なり。ランスロットを蘇してか」と父は話し半ばに我句を投げ・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・らん難波津に行すめらぎの稀の行幸御供する君のさきはひ我もよろこぶ天使のはろばろ下りたまへりける、あやしきしはぶるひ人どもあつまりゐる中にうちまじりつつ御けしきをがみ見まつる隠士も市の大路に匍匐ならびをろがみ奉る雲・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・夕顔のそれは髑髏か鉢叩蝸牛の住はてし宿やうつせ貝 金扇に卯花画白かねの卯花もさくや井出の里鴛鴦や国師の沓も錦革あたまから蒲団かぶれば海鼠かな水仙や鵙の草茎花咲きぬ ある隠士のもとにて古庭に茶筌花咲く椿かな・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫