・・・ それから家庭の菊池は、いゝ良人でもあるし、いゝ父でもあるのみならず、いゝ隣人をも兼ねているようである。菊池の家へ行くと、近所の子供が大ぜい集まって、菊池夫婦や、菊池の子供と遊んでいることが度々ある。一度などは菊池の一家は留守で、近所の・・・ 芥川竜之介 「合理的、同時に多量の人間味」
・・・たとえばキリストの山上の垂訓にあるように、「隣人を愛せよ」とか「姦淫するなかれ」とか発言することができずに、「汝の意欲の準則が普遍的法則たり得るように行為せよ」とか、「汝の現在の態度について、汝自身に忠実であり得るように態度をとれ」とかいい・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・古い箕や桶を貰った隣人は羨しそうに云った。「うら等もシンショウをいれて子供をえろうにしといた方がよかった。ほいたらいつまでもこんな百姓をせいでもよかったんじゃ!」「この鍬をやるか。――もう使うこたないんじゃ。」為吉は納屋の隅から古鍬を出・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・この世の中のひとりでも不幸な人のいる限り、自分も幸福にはなれないと思う事こそ、本当の人間らしい感情でしょうに、自分だけ、あるいは自分の家だけの束の間の安楽を得るために、隣人を罵り、あざむき、押し倒し、まるでもう地獄の亡者がつかみ合いの喧嘩を・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・私とそっくりおなじ男がいて、この世にひとつものがふたつ要らぬという心から憎しみ合ったわけでもなければ、その男が私の妻の以前のいろであって、いつもいつもその二度三度の事実をこまかく自然主義ふうに隣人どもへ言いふらして歩いているというわけでもな・・・ 太宰治 「逆行」
・・・汝等おのれを愛するが如く、汝の隣人を愛せ。 しかし私は、このような回想を以て私の思想にこじつけようとは思わぬ。私のこんな思い出話を以て、私の家の宗派の親鸞の教えにこじつけ、そうしてまた後の、れいのデモクラシイにこじつけようとしたら、それ・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・であるから、よっぽど気を付けて書かない事には、あらぬ隣人をさえ傷つける。決してその人の事を言っているのでは無いのだ。大袈裟な言いかたをすれば、私はいつでも、「人間歴史の実相」を、天に報告しているのだ。私怨では無いのだ。けれども、そう言うとま・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・ ルソオの懺悔録のいやらしさは、その懺悔録の相手の、神ではなくて、隣人である、というところに在る。世間が相手である。オーガスチンのそれと思い合わせるならば、ルソオの汚さは、一層明瞭である。けれども、人間の行い得る最高至純の懺悔の形式・・・ 太宰治 「思案の敗北」
・・・ おのれを愛するが如く、汝の隣人を愛せよ。それからでなければ、どうにもこうにもなりゃしないのだよ。 とこう言うとまた、れいのサロンの半可通どもは、その思想は云々と、ばかな議論をはじめるだろう。かえるのつらに水である。やり切れねえ。・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・ キリストの愛、などと言い出すのは大袈裟だが、あのひとの教える「隣人愛」ならばわかるのだが、恋愛でなく「異性を愛する」というのは、私にはどうも偽善のような気がしてならない。 つぎにまた、あいまいな点は、「一体になろうとする特殊な性的・・・ 太宰治 「チャンス」
出典:青空文庫