・・・ 和田はこう前置きをしてから、いつにない雄弁を振い出した。「僕は藤井の話した通り、この間偶然小えんに遇った。所が遇って話して見ると、小えんはもう二月ほど前に、若槻と別れたというじゃないか? なぜ別れたと訊いて見ても、返事らしい返事は・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・神父はいよいよ勝ち誇ったようにうなじを少し反らせたまま、前よりも雄弁に話し出した。「ジェズスは我々の罪を浄め、我々の魂を救うために地上へ御降誕なすったのです。お聞きなさい、御一生の御艱難辛苦を!」 神聖な感動に充ち満ちた神父はそちら・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・この国の歴史に疎い彼には、折角の相手の雄弁も、半分はわからずにしまったのだった。「支那の哲人たちの後に来たのは、印度の王子悉達多です。――」 老人は言葉を続けながら、径ばたの薔薇の花をむしると、嬉しそうにその匂を嗅いだ。が、薔薇はむ・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・譚は彼女を見るが早いか、雄弁に何か話し出した。彼女も愛嬌そのもののように滑かに彼と応対していた。が、彼等の話している言葉は一言も僕にはわからなかった。(これは勿論僕自身の支那語に通じていない為である。しかし元来長沙の言葉は北京 譚は鴇婦・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・だから蟹の弁護に立った、雄弁の名の高い某弁護士も、裁判官の同情を乞うよりほかに、策の出づるところを知らなかったらしい。その弁護士は気の毒そうに、蟹の泡を拭ってやりながら、「あきらめ給え」と云ったそうである。もっともこの「あきらめ給え」は、死・・・ 芥川竜之介 「猿蟹合戦」
・・・恐れるのは煽動家の雄弁である。武后は人天を顧みず、冷然と正義を蹂躙した。しかし李敬業の乱に当り、駱賓王の檄を読んだ時には色を失うことを免れなかった。「一抔土未乾 六尺孤安在」の双句は天成のデマゴオクを待たない限り、発し得ない名言だったからで・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・どうも赤木の雄弁に少し祟られたらしい。 三十日 朝起きたら、歯の痛みが昨夜よりひどくなった。鏡に向って見ると、左の頬が大分腫れている。いびつになった顔は、確にあまり体裁の好いものじゃない。そこで右の頬をふくらせたら、平均がとれる・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・金三は勿論雄弁だった。芽は二本とも親指より太い。丈も同じように揃っている。ああ云う百合は世界中にもあるまい。………「ね、おい、良ちゃん。今直見にあゆびよう。」 金三は狡るそうに母の方を見てから、そっと良平の裾を引いた。二本芽の赤芽の・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・ 訴えるようなこの子の目は、何よりも雄弁にそれを語った。私もまんざら、こうした子供の気持ちがわからないでもない。よりすぐれたものとなるためには、自分らから子供を叛かせたい――それくらいのことは考えない私でもない。それにしても、少年らしい・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ひとと始めて知り合ったときのあの浮気に似たときめきが、ふたりを気張らせ、無智な雄弁によってもっともっとおのれを相手に知らせたいというようなじれったさを僕たちはお互いに感じ合っていたようである。僕たちは、たくさんの贋の感激をして、幾度となく杯・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
出典:青空文庫