・・・彼等は無数の人々の視線の彼等の背中に集まるのを感じた。いや、彼等の心臓さえはっきりと人目に映ずるのを感じた。しかしこの標本室へ来れば、剥製の蛇や蜥蝪のほかに誰一人彼等を見るものはない。たまに看守や観覧人に遇っても、じろじろ顔を見られるのはほ・・・ 芥川竜之介 「早春」
・・・ 弟は、生まれつき笛が上手で、姉は、生まれつき声のいいところから、二人は、ついにこの港に近い、広場にきて、いつごろからともなく笛を吹き、唄をうたって、そこに集まる人々にこれを聞かせることになったのです。 朝日が上ると二人は、天気の日・・・ 小川未明 「港に着いた黒んぼ」
・・・そして散髪屋、雑貨屋、銭湯、居酒屋など人の集まるところの家族には、あらかじめ無料ですえてやり、仁の集まるのを待ち構えた。 もし、はやらなければ、宿賃の払いも心細い……と、口には出さなかったが、ぎろりとした眼を見張ってから一刻、ひょいと会・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 十二月の三日の夜、同行のものは中根の家に集まることになっていたゆえ僕も叔父の家に出かけた、おっかさんは危なかろうと止めにかかったが、おとっさんが『勇壮活発の気を養うためだから行け』とおっしゃった。 中根へ行って見るともう人がよほど・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・ ふと山王台の森に烏の群れ集まるのを見て、暫く彼処のベンチに倚って静かに工夫しようと日吉橋を渡った。 哀れ気の毒な先生! 「見すぼらしげな後影」と言いたくなる。酒、酒、何であの時、蕎麦屋にでも飛込んで、景気よく一二本も倒さなかったの・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・若い女ばかり集まる処だからお秀の性質でもまさかに寝衣同様の衣服は着てゆかれず、二三枚の単物は皆な質物と成っているし、これには殆ど当惑したお富は流石女同志だけ初めから気が付いていた。お秀の当惑の色を見て、「気に障えちゃいけないことよ、あの・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・あるいは寛喜、貞永とつづいて飢饉が起こって百姓途上にたおれ、大風洪水が鎌倉地方に起こって人畜を損じ、奥州には隕石が雨のごとく落ち、美濃には盛夏に大雪降り、あるいは鎌倉の殿中に怪鳥集まるといった状況であった。日蓮は世相のただならぬことを感じた・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・無念骨髄に徹して歯を咬み拳を握る幾月日、互に義に集まる鉄石の心、固く結びてはかりごとを通じ力を合せ、時を得て風を巻き雲を起し、若君尚慶殿を守立てて、天翔くる竜の威を示さん存念、其企も既に熟して、其時もはや昨今に逼った。サ、かく大事を明かした・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ 私は茶の間に集まる子供らから離れて、ひとりで自分の部屋を歩いてみた。わずかばかりの庭を前にした南向きの障子からは、家じゅうでいちばん静かな光線がさして来ている。東は窓だ。二枚のガラス戸越しに、隣の大屋さんの高い塀と樫の樹とがこちらを見・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・地方の人の信用は旦那の身に集まるばかりであった。交際も広く、金廻りもよく、おまけに人並すぐれて唄う声のすずしい旦那は次第に茶屋酒を飲み慣れて、土地の芸者と関係するようになった。旦那が自分の知らない子の父となったと聞いた時は、おげんは復たかと・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
出典:青空文庫