・・・そして農場の鎮守の社の傍の小作人集会所で女と会った。 鎮守は小高い密樹林の中にあった。ある晩仁右衛門はそこで女を待ち合わしていた。風も吹かず雨も降らず、音のない夜だった。女の来ようは思いの外早い事も腹の立つほどおそい事もあった。仁右衛門・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
八月十七日私は自分の農場の小作人に集会所に集まってもらい、左の告別の言葉を述べた。これはいわば私の私事ではあるけれども、その当時の新聞紙が、それについて多少の報道を公けにしたのであるが、また聞きのことでもあるから全く誤・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・立チマスノデ、ツイツイ遠クカラ拝見シテイルトイウヨウナコトデ、コレデ無難ニ飯ガクエレバ、コンナラクナ事ハアリマセヌ、慾ニハ私モ東京ニイテ、文芸倶楽部ノ末ノ方ニアルヨウナ端唄ヲツクッテ、竹富久井アタリニ集会シテイマシタラ、モウ一倍ラクナ事ダロ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・村の集会所の上にも、向うの、白い製薬会社と、発電所が、晴れきった空の下にくっきりと見られるS町にも、何か崩れつゝあるものと、動きつゝあるものとが感じられた。 僕には、兄が何をやっているか、それは分っていた。 虹吉は、おふくろを埋葬し・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・「密謀の集会」「大広間の評定」「道中の行列」これには大抵同じ土手や昭和国道がつかわれる。「花柳街のセット」「宿屋の帳場」「河原の剣劇」「御寺の前の追駆け」「茶屋の二階の障子の影法師」それから……。それからまたどの映画にも必ず根気よく実に根気・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 夕方藤田君が来て、図書館と法文科も全焼、山上集会所も本部も焼け、理学部では木造の数学教室が焼けたと云う。夕食後E君と白山へ行って蝋燭を買って来る。TM氏が来て大学の様子を知らせてくれた。夜になってから大学へ様子を見に行く。図書館の書庫・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・そういう同門下の人たちと先生没後の今日、時おり何かの機会で顔を合わせるごとに感じる名状し難いなつかしさの奥には、千駄木や早稲田の先生の家における、昔の愉快な集会の記憶が背景となって隠れているであろう。 記憶の悪い自分のこの追憶の記録には・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・ だれであったか忘れたが昔のギリシアの哲学者の一人は集会所のベンチの片端に席を占める癖があった。人がその理由を尋ねたら「せめて片側だけでも自由がほしい」と答えたそうである。昔も今もこうしたわがままなエゴイストの心理は同様だと見える。・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・色々の集会もここであった。天文関係の人が寄ったときにその頃発見された新星ノヴァ・ペルセイの話が出た。新星と豊国がその時から結合した。磁力測量に使う磁石棒の長さをミクロンまで精密に測ろうとして骨折った頃にもよく豊国の牛肉を食った。磁石と豊国と・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・物理学輪講会はルーベンスが座長であったがプランクもほとんどいつも欠かさず出席してこの集会の光彩を添えていた。老人株ではカナル線の発見者ゴールトシュタインや、ワールブルヒなどがおり、若手ではゲールケ、プリングスハイム、ポールなどもいた。日本人・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
出典:青空文庫