・・・その朝は早々起きて物置の二階から祭壇を下ろし煤を払い雑巾をかけて壇を組みたてようとすると、さて板がそりかえっていてなかなか思うようにならぬのをようやくたたき込む。その間に父上は戸棚から三宝をいくつも取下ろして一々布巾で清めておられる。いや随・・・ 寺田寅彦 「祭」
・・・ 廊下つづきの入口の方を見ると、おひろがせっせと雑巾がけをしていた。道太は茶の室へ出ていって、長火鉢の前に坐って、煙草をふかしはじめた。「みんな働くんだね」「働かんと姉さん口煩いから」おひろは微声で答えたが、始末屋で奇麗好きのお・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 十一 午前の三時から始めた煤払いは、夜の明けないうちに内所をしまい、客の帰るころから娼妓の部屋部屋を払き始めて、午前の十一時には名代部屋を合わせて百幾個の室に蜘蛛の網一線剰さず、廊下に雑巾まで掛けてしまった。 出入りの鳶・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・そしてじっさいオツベルは、そいつで上手に腹をへらし、ひるめしどきには、六寸ぐらいのビフテキだの、雑巾ほどあるオムレツの、ほくほくしたのをたべるのだ。 とにかく、そうして、のんのんのんのんやっていた。 そしたらそこへどういうわけか、そ・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・そうして、素早く雑巾を握ると、まるで夜のあけたような心で割り込んで行った。生徒たちが若い先生の主観的な亢奮ぶりにキョトンとすると、彼は「肥えたるわが馬、手なれしわが鞭」と「精一杯の声を張りあげて歌い出した。」子供たちも「忽ちこれに同化されて・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
一 朝飯がすんで、雑役が監房の前を雑巾がけしている。駒込署は古い建物で木造なのである。手拭を引さいた細紐を帯がわりにして、縞の着物を尻はし折りにした与太者の雑役が、ズブズブに濡らした雑巾で出来るだけゆ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 朝、床をぬれ雑巾でターニャが掃除している。いろんな問答をした。 ――ターニャ、労働科はもう何年ですむの? ――今二年目だからもう一年です。 ――女何人ぐらいいる? ――少いですよ、たった九人。 猫が好きな例の鉢植の・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・ 外を片付けてしまって待っていた、まかないの男が、三人の前にあった茶碗や灰吹を除けて、水をだぶだぶ含ませた雑巾で、卓の上を撫で始めた。 森鴎外 「食堂」
・・・中は広い廊下のような板敷で、ここには外にあるのと同じような、棕櫚の靴ぬぐいのそばに雑巾がひろげておいてある。渡辺は、おれのようなきたない靴をはいて来る人がほかにもあるとみえると思いながら、また靴を掃除した。 あたりはひっそりとして人気が・・・ 森鴎外 「普請中」
・・・ と、伯母は、ただ一寸雑巾で前を隠したまま、鄭重なお辞儀をしたきり、少しも悪びれた様子を示さなかった。またこの伯母は、主人がたまに帰って来てもがみがみ叱りつけてばかりいた。主人の僧侶は、どんな手ひどいことを伯母から云われても、表情を怒ら・・・ 横光利一 「洋灯」
出典:青空文庫