ある婦人雑誌社の面会室。 主筆 でっぷり肥った四十前後の紳士。 堀川保吉 主筆の肥っているだけに痩せた上にも痩せて見える三十前後の、――ちょっと一口には形容出来ない。が、とにかく紳士と呼ぶのに躊躇することだけは事実・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・この間ある雑誌社が「私の母」という小さな感想をかけといって来た時、私は何んの気もなく、「自分の幸福は母が始めから一人で今も生きている事だ」と書いてのけた。そして私の万年筆がそれを書き終えるか終えないに、私はすぐお前たちの事を思った。私の心は・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・何でも雑誌をとってる家だからね。そうそう、君は何日か短歌が滅びるとおれに言ったことがあるね。この頃その短歌滅亡論という奴が流行って来たじゃないか。A 流行るかね。おれの読んだのは尾上柴舟という人の書いたのだけだ。B そうさ。おれの読・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ と言やあがった…… その透綾娘は、手拭の肌襦袢から透通った、肩を落して、裏の三畳、濡縁の柱によっかかったのが、その姿ですから、くくりつけられでもしたように見えて、ぬの一重の膝の上に、小児の絵入雑誌を拡げた、あの赤い絵の具が、腹から血・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 筆を改めた二日目に原稿を書き終って、これを某雑誌社へ郵送した。書き出しの時の考えに従い、理屈は何も言わないで、ただ紹介だけにとどめたのだ。これが今月末の入費の一部になるのであった。 その夕がた、もう、吉弥も帰っているだろうと思い、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・その頃の日本の雑誌は専門のものも目次ぐらいは一と通り目を通していたが、鴎外と北尾氏との論争はドノ雑誌でも見なかったので、ドコの雑誌で発表しているかと訊くと、独逸の何とかいう学会の雑誌でだといった。日本人同士が独逸の雑誌で論難するというは如何・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・丹羽さんが青年会において『基督教青年』という雑誌を出した。それで私のところへもだいぶ送ってきた。そこで私が先日東京へ出ましたときに、先生が「ドウです内村君、あなたは『基督教青年』をドウお考えなさいますか」と問われたから、私は真面目にまた明白・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
ねえやの田舎は、山奥のさびしい村です。町がなかなか遠いので、子供たちは本屋へいって雑誌を見るということも、めったにありません。三郎さんは、自分の見た雑誌をねえやの弟さんに、送ってやりました。「坊ちゃん、ありがとうございます。弟は、・・・ 小川未明 「おかめどんぐり」
・・・空襲がはげしくなって雑誌が出なくなっても、彼は少しも閑にならず、シナリオやラジオドラマや脚本の執筆に追われて、忙しい想いをしていた。 そんなにまで、いろいろと仕事に手を出すのは、単なる仕事好きとだけ考えられなかった。やはり金ではないかと・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・左り側に彼が曾て雑誌の訪問記者として二三度お邪魔したことのある、実業家で、金持で、代議士の邸宅があった。「やはり先生避暑にでも行ってるのだろうが、何と云っても彼奴等はいゝ生活をしているな」彼は羨ましいような、また憎くもあるような、結局芸術と・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫