・・・』『そうでございました、難波へ嫁にゆけというのであります。』『お前はどうして』と問われてお絹ためらいしが『叔父さんとよく相談してと生返事をして置きました。』『そうか』と叔父は嘆息なり。『叔父さんのご用というのは何。』・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・災害史によると、難波や土佐の沿岸は古来しばしば暴風時の高潮のためになぎ倒された経験をもっている。それで明治以前にはそういう危険のあるような場所には自然に人間の集落が希薄になっていたのではないかと想像される。古い民家の集落の分布は一見偶然のよ・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・慶応四年春、浪華に行幸あるに吾宰相君御供仕たまへる御とも仕まつりに、上月景光主のめされてはるばるのぼりけるうまのはなむけに天皇の御さきつかへてたづがねののどかにすらん難波津に行すめらぎの稀の行幸御供する君のさ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫