・・・ いつだったかこんな話をきいたことがある。雪国の野には冬の夜なぞによくものの声がするという。その声が遠い国に多くの人がいて口々に哀歌をうたうともきければ、森かげの梟の十羽二十羽が夜霧のほのかな中から心細そうになきあわすとも聞える。ただ、・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・いくら雪国でも、貴下様、もうこれ布子から単衣と飛びまする処を、今日あたりはどういたして、また襯衣に股引などを貴下様、下女の宿下り見まするように、古葛籠を引覆しますような事でござりまして、ちょっと戸外へ出て御覧じませ。鼻も耳も吹切られそうで、・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ 大雷は雪国の、こんな時に起ります。 死力を籠めて、起上ろうとすると、その渦が、風で、ごうと巻いて、捲きながら乱るると見れば、計知られぬ高さから颯と大滝を揺落すように、泡沫とも、しぶきとも、粉とも、灰とも、針とも分かず、降埋める。・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ 撫でつけの水々しく利いた、おとなしい、静な円髷で、頸脚がすっきりしている。雪国の冬だけれども、天気は好し、小春日和だから、コオトも着ないで、着衣のお召で包むも惜しい、色の清く白いのが、片手に、お京――その母の墓へ手向ける、小菊の黄菊と・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・が乗客はまだいずれも雪国らしいぎょうさんな風姿をしている。藁沓を履いて、綿ネルの布切で首から頭から包んだり、綿の厚くはいった紺の雪袴を穿いたり――女も――していた。そして耕吉の落着先きを想わせ、また子供の時分から慣れ親しんできた彼には、言い・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ 折から川端康成氏の「雪国」、尾崎一雄氏「暢気眼鏡」、永井荷風氏「東綺譚」等が一般に文学の情愛とでも云うようなもので迎えられたことは、これらの作家それぞれ独特の文学の境地と美と云われるものの性質とをもっているからである。が、特にその芸術・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・にしろ、川端康成の「雪国」にしろ、各人の芸術完成の一定段階を示しながら、作者自身にその完成の歴史的な意味を自覚させるために役立つ力は持たなかったのである。 ヒューマニズムは単なる生命主義ではないといわれつつも当時北條民雄の「いのちの初夜・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・生れは雪深い越後、雪国に美人が多いと云うためしにもれず若い時は何小町と云われたほどその美しさがかもしたいろいろの悲しいことや美しい話は今はきりさげの被衣姿の人の口からひとごとのようにはなされる事もたまにはある。娘も京の川水に産湯をつかっただ・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・ 歌留多をとるでなし、人の訪ねて来るでもない、寒い夜は、早くから炬燵に入って、いかにも雪国らしい、しずかな時を送る。 此処いらの正月は、盆よりはにぎやかでない。正月は、ひどい寒さでもあるし、蓄えの穀物があんまり豊かでない時なので、貧・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫