・・・そのあたり雪明りもなく、なぜか道は暗かった。 照枝と二人、はじめて別府へ来た晩のことが想い出されるのだった。船を降りた足で、いきなり貸間探しだった。旅館の客引きの手をしょんぼり振り切って、行李を一時預けにすると、寄りそうて歩く道は、しぜ・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・其処へかかると中に灯火が無く、外の雪明りは届かぬので、ただ女の手に引かるるのみの真暗闇に立つ身の、男は聊か不安を覚えぬでは無かった。 然し男は「ままよ」の安心で、大戸の中の潜り戸とおぼしいところを女に従って、ただ只管に足許を気にしながら・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・一日雪明りの部屋でオルガンをひいて助かった気持になっているらしくて、私にとって今日が一層心のどかな休み日となりました。どうぞあなたもお喜び下さい。あの人もこうやってゆきづまりながらトコトンで何か打開して生きて行くことを学びつつあります。体の・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 彼女が、丸い体の重みで幾分踵をひくような歩きつきをしながら雪明りの室の中からそれより白い姿を消してしまうのを見送っていたエレーナが、急に背中をのばすような身ぶりをし、灰色の病衣を片手できつく自分の高い胸へかき合わせた。 ――これが・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・たとえば家の障子というものの感覚は、私たちの感情に結びついたもので、障子をはりかえたときのさわやかな気持だの、障子の上の雪明りだの日本の抒情に深い絆がひそんでいる。けれども、今日では普通の家の障子は、随分とひどい紙で張られていて、紙の美しさ・・・ 宮本百合子 「生活のなかにある美について」
・・・最早新に燭火を点候にも及ばず、窓の雪明りにて、皺腹掻切候ほどの事は出来申すべく候。 万治元戊戌年十二月二日興津弥五右衛門華押 皆々様 この擬書は翁草に拠って作ったのであるが、その外は手近にある徳川実記と野史とを・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・電灯が小さいので、雪明りに負けているからである。 ひゅうひゅうと云う音は、この時これまでになく近く聞えている。「それ御覧なさい。あの音は手水場でしているのだわ。」お松はこう云ったが、自分の声が不断と変っているのに気が附いて、それと同・・・ 森鴎外 「心中」
出典:青空文庫