出典:青空文庫
・・・エゴイズムは、雲散霧消している。 やさしさだけが残った。このやさしさは、ただものでない。ばか正直だけが残った。これも、ただものでない。こんなことを言っている、おめでたさ、これも、ただものでない。 その、ただものでない男が、さて、と立・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・私のけしからぬ空想も、きれいに雲散霧消してしまった。 われ幼少の頃の話であるが、町のお祭礼などに曲馬団が来て小屋掛けを始める。悪童たちは待ち切れず、その小屋掛けの最中に押しかけて行ってテントの割れ目から小屋の内部を覗いて騒ぐ。私も、・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・家へ帰りつくまでには、背後の犬もどこかへ雲散霧消しているのが、これまでの、しきたりであったのだが、その日に限って、ひどく執拗で馴れ馴れしいのが一匹いた。真黒の、見るかげもない小犬である。ずいぶん小さい。胴の長さ五寸の感じである。けれども、小・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・よろしい、それでは一つ、しんじつ未曾有、雲散霧消の結末つくって、おまえのくさった腹綿を煮えくりかえさせてあげるから。 そうして、それから、――私たちは諦めなかった。帝国ホテルの黄色い真昼、卓をへだてて立ちあがり、濁りなき眼で、つくづく相・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・がりがり後頭部を掻きながら、なんたることだ、日頃の重苦しさを、一挙に雲散霧消させたくて、何か悪事を、死ぬほど強烈なロマンチシズムを、と喘えぎつつ、あこがれ求めて旅に出た。山を見に来たのでは、あるまい。ばかばかしい。とんだロマンスだ。 が・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、今はもう、気持が畏縮してしまって、そんな空想など雲散霧消した。私には、そんな資格が無い。立派な口髭を生やしな・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・日本の女がこれまでの社会の歴史から負わされているさまざまの微妙な荷は、きょう決して雲散霧消しているのではない。そのものはあるいは新聞紙上によみがえり闊歩している徳川時代の形容詞とともに、かえって強まっているかもしれない。ある役所にタイピスト・・・ 宮本百合子 「祭日ならざる日々」