・・・ で、そこまで行くと、途中は厩橋、蔵前でも、駒形でも下りないで、きっと雷門まで、一緒に行くように信じられた。 何だろう、髪のかかりが芸者でない。が、爪はずれが堅気と見えぬ。――何だろう。 とそんな事。……中に人の数を夾んだばかり・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・ その夕がた、もう、吉弥も帰っているだろうと思い、現に必要な物を入れてある革鞄を浅草へ取りに行った。一つは、かの女の様子を探るつもりであった。 雷門で電車を下り、公園を抜けて、千束町、十二階の裏手に当る近所を、言われていた通りに探す・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・近きベンチへ腰をかけて観音様を祈り奉る俄信心を起すも霊験のある筈なしと顔をしかめながら雷門を出づれば仁王の顔いつもよりは苦し。仲見世の雑鬧は云わずもあるべし。東橋に出づ。腹痛やゝ治まる。向うへ越して交番に百花園への道を尋ね、向島堤上の砂利を・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
雷門といっても門はない。門は慶応元年に焼けたなり建てられないのだという。門のない門の前を、吾妻橋の方へ少し行くと、左側の路端に乗合自動車の駐る知らせの棒が立っている。浅草郵便局の前で、細い横町への曲角で、人の込合う中でもその最も烈しく・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・抑是ノ酒肆ハ浅草雷門外ナル一酒楼ノ分店ニシテ震災ノ後始テ茲ニ青ヲ掲ゲタルモノ。然ルガ故ニ婢モ亦開店ノ当初ニ在リテハ浅草ノ本店ヨリ分派セラレシモノ尠シトナサヾリキ。今ヤ日ニ従テ新陳代謝シ四方ヨリ風ヲ臨ンデ集リ来レルモノ多シ。曾テ都下狭斜ノ巷ニ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・それが浅草の雷門辺であるかと思うほど遠くに見える。今日は二の酉でしかも晴天であるから、昨年来雨に降られた償いを今日一日に取りかえそうという大景気で、その景気づけに高く吊ってある提灯だと分るとその赤い色が非常に愉快に見えて来た。 坂を下り・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・それをきき私共は安心し一層愉快を感じた。雷門で下車。仲店の角をつっきるとき私は出会頭、大きな赤い水瓜みたいなものをハンドルに吊下げて動き出した自転車とぶつかりそうになった。破れる、と思わず瞬間ぎょっとしあわてて避けたはずみに見ると、それは水・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・ 遍立寺を旅支度のままで出た二人は、先ず浅草の観音をさして往った。雷門近くなった時、九郎右衛門が文吉に言った。「どうも坊主にはなっておらぬらしいが、どんな風体でいても見逃がすなよ。だがどうせ立派な形はしていないのだ」 境内を廻っ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫