・・・僕は食事をすませた後、薄暗い船室の電灯の下に僕の滞在費を計算し出した。僕の目の前には扇が一本、二尺に足りない机の外へ桃色の流蘇を垂らしていた。この扇は僕のここへ来る前に誰かの置き忘れて行ったものだった。僕は鉛筆を動かしながら、時々又譚の顔を・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ 書斎の中には、電灯がついていたのか、それともろうそくがついていたのか、それは覚えていない。が、なんでも、外光だけではなかったようである。僕は、妙に改まった心もちで、中へはいった。そうして、岡田君が礼をしたあとで、柩の前へ行った。 ・・・ 芥川竜之介 「葬儀記」
・・・ 自分はその後まもなく、秋の夜の電灯の下で、書棚のすみから樗牛全集をひっぱり出した。五冊そろえて買った本が、今はたった二冊しかない。あとはおおかた売り飛ばすか、借しなくすかしてしまったのであろう。が、幸いその二冊のうちには、あの「わが袖・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・ペンキと電灯とをもって広告と称する下等なる装飾を試みることでもない。ただ道路の整理と建築の改善とそして街樹の養成とである。自分はこの点において、松江市は他のいずれの都市よりもすぐれた便宜を持っていはしないかと思う。堀割に沿うて造られた街衢の・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・という俗謡が流行った。電灯が試験的に点火されても一時間に十度も二十度も消えて実地の役に立つものとは誰も思わなかった。電話というものは唯実験室内にのみ研究されていた。東海道の鉄道さえが未だ出来上らないで、鉄道反対の気焔が到る処の地方に盛んであ・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・その料理場では鈍い電灯の光を浴びた裸かの料理人が影絵のようにうごめいていました。その上は客室で、川に面した窓側で、若い男女が料理をつついています。話し合っているのでしょうが、声が聴えないので、だんまりの芝居のようです。隣の家は歯医者らしく、・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・と書いた大提灯がぶら下っていて、その横のガラス箱の中に古びたお多福人形がにこにこしながら十燭光の裸の電灯の下でじっと坐っているのである。暖簾をくぐって、碁盤の目の畳に腰掛け、めおとぜんざいを注文すると、平べったいお椀にいれたぜんざいを一人に・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・という甘い文句の見出しで、店舗の家賃、電灯・水道代は本舗より支弁し、薬は委託でいくらでも送る。しかも、すべて卓効疑いのない請合薬で、卸値は四掛けゆえ十円売って六円の儲けがある。なお、売れても売れなくても、必ず四十円の固定給は支給する云々の条・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・夕方電灯もつけぬ暗い六畳の間の真中にぺたりと坐り込み、腕ぐみして肩で息をしながら、障子紙の破れたところをじっと睨んでいた。柳吉は三味線の撥で撲られた跡を押えようともせず、ごろごろしていた。 もうこれ以上節約の仕様もなかったが、それでも早・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 電灯屋、新聞屋、そばや、洋食屋、町内のつきあい――いろんなものがやって来る。室の中に落着いて坐ってることが出来ない。夜も晩酌が無くては眠れない。頭が痛んでふらふらする。胸はいつでもどきん/\している。…… と云って彼は何処へも訪ね・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫