・・・それは誰か麦の間を歩いている音としか思われなかった、しかし事実は打ち返された土の下にある霜柱のおのずから崩れる音らしかった。 その内に八時の上り列車は長い汽笛を鳴らしながら、余り速力を早めずに堤の上を通り越した。保吉の捉える下り列車はこ・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・ 武蔵野ではまだ百舌鳥がなき、鵯がなき、畑の玉蜀黍の穂が出て、薄紫の豆の花が葉のかげにほのめいているが、ここはもうさながらの冬のけしきで、薄い黄色の丸葉がひらひらついている白樺の霜柱の草の中にたたずんだのが、静かというよりは寂しい感じを・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・…… ある霜柱の残っている午後、わたしは為替をとりに行った帰りにふと制作慾を感じ出した。それは金のはいったためにモデルを使うことの出来るのも原因になっていたのに違いなかった。しかしまだそのほかにも何か発作的に制作慾の高まり出したのも確か・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・ 膝掛を引抱いて、せめてそれにでも暖りたそうな車夫は、値が極ってこれから乗ろうとする酔客が、ちょっと一服で、提灯の灯で吸うのを待つ間、氷のごとく堅くなって、催促がましく脚と脚を、霜柱に摺合せた。「何?大分いけますね……とおいでなさる・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・冥、雹の降ること凄まじく、且は電光の中に、清げなる婦人一人、同所、鳥博士の新墓の前に彳み候が、冷く莞爾といたし候とともに、手の壺微塵に砕け、一塊の鮮血、あら土にしぶき流れ、降積りたる雹を染め候が、赤き霜柱の如く、暫時は消えもやらず有之候よし・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ と云って推重なった中から、ぐいと、犬の顔のような真黒なのを擡げると、陰干の臭が芬として、内へ反った、しゃくんだような、霜柱のごとき長い歯を、あぐりと剥く。「この前歯の処ウを、上下噛合わせて、一寸の隙も無いのウを、雄や、(と云うのが・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ 垣根の際は、長い冬の間は、ほとんど毎朝のように霜柱が立って、そこの地は凍っていました。寒い、寒い天気の日などは、朝から晩まで、その霜柱が解けずに、ちょうど六方石のように、また塩の結晶したように、美しく光っていることがありました。そのそ・・・ 小川未明 「小さな草と太陽」
・・・鬚根がぼろぼろした土をつけて下がっている、壊えた赤土のなかから大きな霜柱が光っていた。 ××というのは、思い出せなかったが、覇気に富んだ開墾家で知られているある宗門の僧侶――そんな見当だった。また○○の木というのは、気根を出す榕樹に連想・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・ 中 十二月に入ると急に寒気が増して霜柱は立つ、氷は張る、東京の郊外は突然に冬の特色を発揮して、流行の郊外生活にかぶれて初て郊外に住んだ連中を喫驚さした。然し大庭真蔵は慣れたもので、長靴を穿いて厚い外套を着て平・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・空は片雲なく、地は霜柱白銀のごとくきらめく。小鳥梢に囀ず。梢頭針のごとし」二月八日――「梅咲きぬ。月ようやく美なり」三月十三日――「夜十二時、月傾き風きゅうに、雲わき、林鳴る」同二十一日――「夜十一時。屋外の風声をきく、たちまち・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
出典:青空文庫