出典:gooニュース
本土決戦に備え霧島神宮周辺に20カ所以上の戦車壕が築かれた。空襲警報が鳴った日の帰り道、中をのぞくと兵士の死体が転がっていた。いつの間にか戦車隊はいなくなったが、ひどい食糧難で関心もなかった【証言 語り継ぐ戦争】
■山崎安則さん(91)霧島市霧島大窪 1945(昭和20)年春、霧島市霧島大窪の霧島神宮駅周辺に戦車壕(ごう)が数多く掘られた。大田国民学校高等科1年だった自分を含め地域の子ども約80人が4、5人の班に分けられ、兵隊が掘った土を運搬する作業を手伝わされた。 この頃、米軍の本土上陸がうわさされていた。吹上浜か、志布志湾か。
霧島神宮神宮号宣下並びに官幣大社列格150年記念奉祝行事
奉祝 国宝指定 霧島神宮が明治7年に神宮の称号を宣下され、また官幣大社に列格されて150年の節目を迎えるに際し、19日に奉祝祭典が斎行され、それを記念して奉祝の行事が催される霧島九面太鼓、霧島神楽、琴、尺八、大正琴など各種奉納行事が行われる。
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