・・・そうして露台のデッキチェアーに仰向けになって植物図鑑をゆるゆる点検しながら今採って来た品種のアイデンチフィケーションに取りかかる。やっと一つぐらい見つかるころには、朝食の用意ができた、と窓の内から声がかかるのである。 図鑑を見ただけで、・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・ちょうど若い軍人たちがおおぜいで見学に来ていたが、四階屋上の露台から下を見おろしている同僚の一群を下の連中が見上げながら大声で何かからかっている。「おうい、もう争議は解決したぞ、おりろおりろ」というのが聞こえた。その後ある大学の運動会では余・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
昭和十年八月四日の朝、信州軽井沢千が滝グリーンホテルの三階の食堂で朝食を食って、それからあの見晴らしのいい露台に出てゆっくり休息するつもりで煙草に点火したとたんに、なんだかけたたましい爆音が聞こえた。「ドカン、ドカドカ、ド・・・ 寺田寅彦 「小爆発二件」
・・・ 四 カラジウムを一鉢買って来て露台のながめにしている。芋の葉と形はよく似ているが葉脈があざやかな洋紅色に染められてその周囲に白い斑点が散布している。芋から見れば片輪者であり化け物であろうが人間が見るとやはり美し・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
一 石の階段を上って行くと広い露台のようなところへ出た。白い大理石の欄干の四隅には大きな花鉢が乗っかって、それに菓物やら花がいっぱい盛り上げてあった。 前面には湖水が遠く末広がりに開いて、かすか・・・ 寺田寅彦 「夢」
・・・暖炉に火が燃え、鳩時計は細長い松ぼっくりのような分銅をきしませつつ時を刻んでいる。露台の硝子越しに見える松の並木、その梢の間に閃いている遠い海面の濃い狭い藍色。きのう雪が降ったのが今日は燦らかに晴れているから、幅広い日光と一緒に、潮の香が炉・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
・・・ とよび、夜の露台で有名な独白を月、星、夜鶯にかけて訴えたろう。しかし、ジュリエットが現実に出来たことは死ぬことしかなかった。デスデモーナが、まばゆいほど白くて美しい額の奥に、オセロを出しぬくだけの生一本な正直さもしんのつよい情熱ももたなか・・・ 宮本百合子 「デスデモーナのハンカチーフ」
・・・直ぐその下を私が通りがかりつつある一八〇〇年代の建造らしい南欧風洋館の廃れた大露台の欄干では、今、一匹の印度猿が緋のチョッキを着、四本の肢で一つ翻筋斗うった。 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・十一月十一日、ニューヨークの小さなホテルの露台に立ってヨーロッパ大戦休戦当日の光景を見下ろした。一九一〔九〕年ニューヨークで結婚。「美しき月夜」十二月帰朝。一九二〔〇〕年この年から足かけ四・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・労働大学の露台の上に大きな「売家」の広告が張り出されていた。内部は空屋同然である。前垂をかけた掃除女が一人廊下を歩いている。階下の戸を開けっ放した室で年とった四角の体の男が時々来て残務整理をやった。 ――御承知のような現状で坑夫組合はこ・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫