・・・窓の並んだ形が、椅子をかたづけた学校に似ていたが、一列に続いて、ざっと十台、曲尺に隅を取って、また五つばかり銅の角鍋が並んで、中に液体だけは湛えたのに、青桐の葉が枯れつつ映っていた。月も十五に影を宿すであろう。出ようとすると、向うの端から、・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・いちじくの青い広葉はもろそうなものだが、これを見ていると、何となくしんみりと、気持ちのいいものだから、僕は芭蕉葉や青桐の葉と同様に好きなやつだ。しかもそれが僕の仕事をする座敷からすぐそばに見える。 それに、その葉かげから、隣りの料理屋の・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・中庭の青桐の若葉の影が拭きぬいた廊下に映ってぴかぴか光っている。 北の八番の唐紙をすっとあけると中に二人。一人は主人の大森亀之助。一人は正午前から来ている客である。大森は机に向かって電報用紙に万年筆で電文をしたためているところ、客は上着・・・ 国木田独歩 「疲労」
・・・ もう一晩この家に寝かせて下さい、玄関の夾竹桃も僕が植えたのだ、庭の青桐も僕が植えたのだ、と或る人にたのんで手放しで泣いてしまったのを忘れていない。一ばん永く住んでいたのは、三鷹町下連雀の家であろう。大戦の前から住んでいたのだが、ことしの春・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・旅への誘いは、私の疲労した心の影に、とある空地に生えた青桐みたいな、無限の退屈した風景を映像させ、どこでも同一性の法則が反覆している、人間生活への味気ない嫌厭を感じさせるばかりになった。私はもはや、どんな旅にも興味とロマンスをなくしてしまっ・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・子供の遊ぶ部屋の前には大きい半分埋まった石、その石をかくすように穂を出した薄、よく鉄砲虫退治に泥をこねたような薬をつけられていた沢山の楓、幾本もの椿、また山桜、青桐が王のように聳えている。畑にだって台所の傍にだって木のないところなど一つもな・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・窓から見える青空は、広々として雲一つなく日光に燃えあふれている。青桐の茂った梢が見える。乾いた屋根屋根が高く低く連なっている。路地の奥に一本の樟木が見え、その枝に這いのぼったへちまの黄色い花もいくつか見える。 疲れた頭の中までを風に吹か・・・ 宮本百合子 「芸術が必要とする科学」
・・・ 庭の真中に突立って自信のあるらしい様子をして居る青桐がめっきり見すぼらしくなり下って、あの古ぼけたレースをぶら下げた様な葉の姿を見るといやだと外思い様がない。 白髪頭を振りたてて日かげのうす暗く水臭い流し元で食物をこね返して居る貧・・・ 宮本百合子 「後庭」
・・・庭の青桐や紅葉が黄葉の最中で中々きれいです。去年の秋はこんなにゆっくり秋色をながめる心のいとまがなかったけれども、今年は東の窓や西の窓をあけ、さては北側の動坂方面を眺めたりして、動坂の家に屋根をおおうて欅の木があったことをも思い出します。夜・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 二階に上って来て手摺から見下したら大きい青桐の木の下に数年前父が夕涼みのために買った竹の床机が出ていて、そこに太郎がおやつのビスケットをたべている。わきに国男が白い浴衣姿でしゃがんで、黒豆という名の黒い善良な犬が尻尾をふっている。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫