・・・の外にも近代の「静物」に変り出した。 ファウストは敬虔の念のためか、一度も林檎を食ったことはなかった。が或嵐の烈しい夜、ふと腹の減ったのを感じ、一つの林檎を焼いて食うことにした。林檎は又この時以来、彼には食物にも変り出した。従って彼は林・・・ 芥川竜之介 「三つのなぜ」
・・・ わたしはこんな話をしながら、静物を描いた古カンヴァスの上へ徐ろに色を加えて行った。彼女は頸を傾けたまま、全然表情らしいものを示したことはなかった。のみならず彼女の言葉は勿論、彼女の声もまた一本調子だった。それはわたしには持って生まれた・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・風景や静物にもすばらしいのはあるが、その女の肖像画にいたっては神品だというよりほかに言葉がない。瀬古 おいおいそれは誰の事だい。ともちゃん、おまえ覚えがある。花田 まあ、あとでわかるから黙って聞け。……ところで、奴が死んでみると・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・小説の勉強はまずデッサンからだと言われているが、デッサンとは自然や町の風景や人間の姿態や、動物や昆虫や静物を写生することだと思っているらしく、人間の会話を写生する勉強をする人はすくない。戯曲を勉強した人が案外小説がうまいのは、彼等の書く会話・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・人物といえば、お母さんの顔をかいたり、また自画像をかいたりするくらいで、あとは、たいてい風景や、静物ばかりをかいていたのである。上野に一軒、モデルを周旋してくれる家があるようであるが、杉野君はいつも、その家の前まで行ってはむなしく引返して来・・・ 太宰治 「リイズ」
・・・ 手近な静物や庭の風景とやっているうちに、かく物の種がだんだんに少なくなって来た。ほんとうは同じ静物でも風景でも排列や光線や見方をちがえればいくらでも材料にならぬ事はないが、素人の初学者の自分としては、少なくもひとわたりはいろいろちがっ・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・ 静物もかかないわけではなかった。しかし花を生けて写生しようと思うとすぐにしおれたり、またこれに反して勢いのいいのは日ごとの変化があまりにはげしくて未熟なものの手に合わなかった。壺やりんごもおもしろくない事はないが、せっかく「生きた自然・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・これはおそらく壁面へずっと低く掲げればちょうどよくなると思う。静物も美しい。これはこの人の独歩の世界である。 山下新太郎。 この人の絵にはかつていやな絵というものを見ない。しかし興奮もさせられない。長所であり短所である。時々は世俗のいわ・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・ 静物が一枚あった。テーブルの上に酒びん、葡萄酒のはいったコップ、半分皮をむいたみかん、そんなものが並んでいた。そしてそれはその後に目で見た現実のあらゆるびんやコップや果物よりも美しいものであった。すべてがほの暗いそうして底光りのする雰・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・なんだか人好きの悪そうな風景画や静物画に対するごとに何よりもその作者の色彩に対する独創的な感覚と表現法によって不思議な快感を促されていた。それはあるいは伝習を固執するアカデミックな画家や鑑賞家の眼からは甚だ不都合なものであるかもしれないが、・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
出典:青空文庫