・・・それはかすかに静脈を浮かせた、薄光りのしている乳房だった。わたしは彼女を絞め殺すことに何のこだわりも感じなかった。いや、むしろ当然のことを仕遂げる快さに近いものを感じていた。彼女はとうとう目をつぶったまま、いかにも静かに死んだらしかった。―・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・そして病気が重ってから、なけなしの金を出してして貰った古賀液の注射は、田舎の医師の不注意から静脈を外れて、激烈な熱を引起した。そしてU氏は無資産の老母と幼児とを後に残してその為めに斃れてしまった。その人たちは私たちの隣りに住んでいたのだ。何・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・このまま静脈に刺してやろうかと、寺田は静脈へ空気を入れると命がないと言った看護婦の言葉を想い出し、狂暴に燃える眼で一代の腕を見た。が、一代の腕は皮膚がカサカサに乾いて黝く垢がたまり、悲しいまでに細かった。この腕であの競馬の男の首を背中を腰を・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ところが買って来たものの、屠殺の方法が判らんちゅう訳で、首の静脈を切れちゅう者もあれば眉間を棍棒で撲るとええちゅう訳で、夜更けの焼跡に引き出した件の牛を囲んで隣組一同が、そのウ、わいわい大騒ぎしている所へ、夜警の巡査が通り掛って一同をひっく・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ものを食うたびに薄く静脈のすいてみえているコメカミが、そこだけ生きているようにビクビク動いた。 彼は何か言おうとした。が、女がどうしてもピタリしなかった。龍介はその時女の首筋に何か見たように思った。虱だった。中から這いでてきたらしかった・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・に蚯蚓の様な静脈を表わしてお金は、自分でも制御する事の出来ない様な勢で親子を攻撃した。「何ぼ私が酔狂だって、何時なおるか分らない様な病人の嫁さんに居てもらいたいんじゃありませんよ。若し、何と云っても自分の懐をいためるのがいやだと云う・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・何しろ静脈注射ですから気がはるのよ、痛い時はひどいから。 知らなかったけれどB・Cの外に砒素の薬が入っていたらしくて、それは心臓の為や体の再建の為に役立ったのでしょうが、あれの特徴で興奮性だからそういう刺激があって、レロレロのくせに働き・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・の、静脈の浮いた手を握ると、一人の日本女はドアの内側から外套をはずし、それを着て外へ出る仕度をした。「しゃっちこばり」は、室の中央のテーブルの傍に立ってそれを見ている。 ――どうしてお出になるんですか、ちっとも貴方は邪魔なさいませんよ。・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・ ダーリヤは思わず優しく静脈の浮き上った指先の短いマリーナの手を撫でた。「きっと今にエーゴル・マクシモヴィッチはお返しなさいますよ、ただ約束の日にかえせなかったというだけですよ」「――エーゴル・マクシモヴィッチは、どうしてああ慾・・・ 宮本百合子 「街」
出典:青空文庫