・・・ 人はあるいは彼はたましいの静謐なき荒々しき狂僧となすかも知れない。しかし彼のやさしき、美しき、礼ある心情はわれわれのすでに見てきた通りである。それにもかかわらず、何故彼はかくの如く、猛烈に、火を吐く如くに叫び、罵り、挑戦し、さながら僧・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・恋の灼熱が通って、徳の調和に――さらに湖のような英知と、青空のような静謐とに向かって行くことは最も望ましい恋の上昇である。幾ら上って行ってもそのひろがりは詩と理想と光との世界である。平板な、散文の世界ではない。それがいのちというものの純粋持・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ただ、このひととき、せめて、このひとときのみ、静謐であれ、と念じながら、ふたり、ひっそりからだを洗った。「K、僕のおなかのここんとこに、傷跡があるだろう? これ、盲腸の傷だよ。」 Kは、母のように、やさしく笑う。「Kの脚だって長・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・生徒中、時にあるいは不行状の者なきに非ずといえども、他の公私諸学校の生徒に比して、我が慶応義塾の生徒は徳義の薄き者に非ず、否なその品行の方正謹直にして、世事に政談にもっとも着実の名を博し、塾中、つねに静謐なるは、あるいは他に比類を見ること稀・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・又は勁く、叢れ、さっと若葉を拡げた八つ手、旺盛な精力の感、無意識に震える情慾の感じ。電車の音、自動車の疾走戸外は音響に充ち少年は、頻りに口笛を吹く。静謐な家の中 机に向い自分は、我と我がひろき額、髪を撫でこする。・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・自分の欲求や野心から発する息苦しい熱ではなくて、それ等を極みない白銀の雰囲気の裡に、たとい瞬間なりとも消滅させる静謐な光輝である。秋とともに在って、私は無私を感ずる。人と人との煩瑣な関係に於ても、彼我を越えた心と心との有様を眺める。心が宇宙・・・ 宮本百合子 「透き徹る秋」
・・・ ジョージ・ギッシングは、非常に困難な一生を送り、芸術家としても決して華やかな生涯は経験しなかった人らしいが、彼の作物のあるものの裡には、殆ど東洋的な静謐さ、敏感な内気な愛が漲っている。四季に分けて書かれたヘンリー・ライクロフトの私・・・ 宮本百合子 「素朴な庭」
・・・皆の生活が真実で、真剣で、あるべきようにあればよいな、と思う。静謐な祈願である。「天心たかく――まぶたひたと瞑ぢて――気澄み 風も死したり あゝ善良き日かな 双手はわが神の聖膝の上にあらむ」 天心たかく――まぶたひたと瞑・・・ 宮本百合子 「追慕」
出典:青空文庫