・・・ 銃と実弾とは病院にも配給されていたが、それは、非常時以外には使うことを禁ぜられていた。非常時というのは、つまり、敵の襲撃を受けたような場合を指すのであった。 吉田はかまわず出て行った。小村も、あとでなんとかなる、――そんな気がして・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・こんな非常時の縁が、新七とお力夫妻とを結びつけ、震災後はその休茶屋に新しい食堂を設け、所謂割烹店でなしに好い料理を食わせるところを造り、協力でそれを経営するようになって行こうとは、お三輪としても全く思い設けない激しい生涯の変化であった。・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・と大声で叫んで立ち上り、けもののような醜いまずい表情をして私を睨み、「あてにならねえ。非常時だに。」と言いました。私は肝のつぶれるほどに驚倒し、それから、不愉快になりました。「自惚れちゃいけない。誰が君なんかに本気で恋をするものか。」と私も・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・昔の徳川時代の江戸町民は長い経験から割り出された賢明周到なる法令によって非常時に処すべき道を明確に指示され、そうしてこれに関する訓練を充分に積んでいたのであるが、西洋文明の輸入以来、市民は次第に赤ん坊同様になってしまったのである。考えるとお・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・昔の徳川時代の江戸町民は永い経験から割り出された賢明周到なる法令によって非常時に処すべき道を明確に指示され、そうしてこれに関する訓練を十分に積んでいたのであるが、西洋文明の輸入以来、市民は次第に赤ん坊同様になってしまったのである。考えると可・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・もしも、いつも半分風邪を引いているのが風邪を引かぬための妙策だという変痴奇論に半面の真理が含まれているとすると、その類推からして、いつも非常時の一歩手前の心持を持続するのが本当の非常時を招致しないための護符になるという変痴奇論にもまたいくら・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・国家の非常時に対する方面だけでも、煙幕の使用、空中写真、赤外線通信など、みんな煙の根本的研究に拠らなければならない。都市の煤煙問題、鉱山の煙害問題みんなそうである。灰吹から大蛇を出すくらいはなんでもないことであるが、大蛇は出てもあまり役に立・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・もっとも非常時の陸海軍では民間飛行の場合などとちがって軍機の制約から来るいろいろな止み難い事情のために事故の確率が多くなるのは当然かもしれないが、いずれにしても成ろうことならすべての事故の徹底的調査をして真相を明らかにし、そうして後難を無く・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・この直接行動のおかげで非常時気分がはじめて少しばかり感ぜられた。こうした場合の群集心理の色々の相が観察されて面白かった。例えば大勢の中にきっと一人くらいは「豪傑」がいて、わざと傍若無人に振舞って仲間や傍観者を笑わせたりはらはらさせるものであ・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・古い村落は永い間の自然淘汰によって、颱風の害の最小なような地の利のある地域に定着しているのに、新集落は、そうした非常時に対する考慮を抜きにして発達したものだとすれば、これはむしろ当然すぎるほど当然なことであると云わなければならない。 昔・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
出典:青空文庫