・・・彼はうまく使えば非常な働手であった。彼は一剋者である。一旦怒らせたら打っても突いてもいうことを聴くのではない。性癖は彼の父の遺伝である。だが甞て乱暴したということもなくてどっちかというと酷く気の弱い所のあるのは彼の母の気質を禀けたのであった・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・五十年間案内者を専門に修業したものでもあるまいが非常に熟練したものである。何年何月何日にどうしたこうしたとあたかも口から出任せに喋舌っているようである。しかもその流暢な弁舌に抑揚があり節奏がある。調子が面白いからその方ばかり聴いていると何を・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・本来の性質からは、それは幾何学のものよりも、一層明晰なものなのであるが、我々が感官から得た、幼時から馴された、種々なる先入見と一致せないかに見えるものから非常に注意深く、精神をできるだけ感官から引離そうと努力する人によってのみ理解せられるの・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・の中には、ニイチェが非常に著るしく現れて居り、死を直前に凝視してゐたこの作者が、如何に深くニイチェに傾倒して居たかがよく解る。 西洋の詩人や文学者に、あれほど広く大きな影響をあたへたニイチェが、日本ではただ一人、それも死前の僅かな時期に・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・これが昼間見たのだったら何の不思議もなくて倉庫につけられた非常階段だと思えるだろうし、又それほどにまで気を止めないんだろうが、何しろ、私は胸へピッタリ、メスの腹でも当てられたような戦慄を感じた。 私は予感があった。この歪んだ階段を昇ると・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・どうも非常な力だ」「しッかりおしよ。吉里さんしッかりおしよ。反ッちゃアいけないのに、あらそんなに反ッちゃア」「平田はどうした。平田は、平田は」「平田さんですか」 いつかお梅も此室に来て、驚いて手も出ないで、ぼんやり突ッ立ッて・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・されどもこれらは非常別段のこととして、ここにその差支のもっともはなはだしく、もっとも広きものあり。すなわち他にあらず、身代の貧乏、これなり。およそ日本国中の人口三千四、五百万、戸数五、六百万の内、一年に子供の執行金五十円ないし百円を出して差・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・寧ろロシアの文学者が取扱う問題、即ち社会現象――これに対しては、東洋豪傑流の肌ではまるで頭に無かったことなんだが――を文学上から観察し、解剖し、予見したりするのが非常に趣味のあることとなったのである。で、面白いということは唯だ趣味の話に止ま・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
○長い長い話をつづめていうと、昔天竺に閼伽衛奴国という国があって、そこの王を和奴和奴王というた、この王もこの国の民も非常に犬を愛する風であったがその国に一人の男があって王の愛犬を殺すという騒ぎが起った、その罪でもってこの者は死刑に処せら・・・ 正岡子規 「犬」
・・・この子が何か答えるときは学者のアラムハラドはどこか非常に遠くの方の凍ったように寂かな蒼黒い空を感ずるのでした。それでもアラムハラドはそんなに偉い学者でしたからえこひいきなどはしませんでした。 アラムハラドの塾は街のはずれの楊の林の中にあ・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
出典:青空文庫