・・・父はわたくしが立止って顔の上に散りかかる落梅を見上げているのを顧み、いかにも満足したような面持で、古人の句らしいものを口ずさんで聞かされたが、しかしそれは聞き取れなかった。後年に至って、わたくしは大田南畝がその子淑を伴い御薬園の梅花を見て聯・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・と答えたアーサーは今更という面持である。「罪あるは高きをも辞せざるか」とモードレッドは再び王に向って問う。 アーサーは我とわが胸を敲いて「黄金の冠は邪の頭に戴かず。天子の衣は悪を隠さず」と壇上に延び上る。肩に括る緋の衣の、裾は開けて・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 光線のたりないその事務室で、正直な某氏は、苦渋の面持ちであった。「それは、もう当然、問題にするべきなんです。しかし……今の理事は――」「どなたから提案なさるということも不可能なんでしょうか」「率直にいって麻痺していますから・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・そして、行儀よく坐り、真面目な面持ちで鮮やかに其等を皆食べて仕舞うのであった。「仕様がないじゃあないか、あれでは」 到頭、彼が言葉に出した。「置けまい?」「――だけれど、もう三十日よ」 さほ子は、良人の顔を見た。彼は目を・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・外見はまことに厳格なものらしい面持をして居るけれ共、その胸の中には、完全な感情を育んで居るものである。「真」は親を愛する事も、他人を愛する事をも知って居る。 故に、基督は、「汝の敵を愛せよ」と叫んだ。 何故に、汝の敵を忘れよと叫・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・ 手紙を貰って心痛をしている若い叔母が、愉快でない面持で、妙な小僧! と云った。いやに訳が分らないんだね。本当にね、どうしたんだろうと子供の母親も考えていたが、何かに思い当ったようなばつのわるい表情になり、目にとまらないほど顔を赧らめた・・・ 宮本百合子 「くちなし」
・・・などが、深刻な面持で紹介されたに始る。続いてシェストフの不安の文学を通じてもたらされたニイチェ、ドストイェフスキー熱はミドルトン・マリがその混成物であるというジイドの芸術をも益々日本の読者層に輸入した。又ジイドがフェルナンデスの限界を破って・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・細君の丸帯から出来た繻珍ズボンをはいて、謹厳な面持で錦絵によくある房附きの赤天鵞絨ばりの椅子にでもかけていただろう祖父の恰好を想像すると、明治とともに心から微笑まれるものがある。 祖父は自分としては学者として一貫して生きようとしたようだ・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ リージンの大柄な口紅を濃くつけた細君は、いかにも夫の手抜かりを攻める面持で、自分たちのいる横で二人だけあっちへのせろ、と云っている。リージンは自分から誘って坐席の割前を助かろうとした手前、ではあっちへ二人でとは云いかね、「そんなことは・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・ そして、大切そうに皆に取り巻かれ、気分もよほどよくなったらしい面持ちをしながら、家からの迎えを待っている若者を眺めてから、愛くしみに満ち充ちた心を持って、裏口から誰も気の付かないうちに、さっさと帰って行ってしまった。二・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫