・・・ もう一息で、頂上の境内という処だから、団扇太鼓もだらりと下げて、音も立てず、千箇寺参りの五十男が、口で石段の数取りをしながら、顔色も青く喘ぎ喘ぎ上るのを――下山の間際に視たことがある。 思出す、あの……五十段ずつ七折ばかり、繋いで・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 頂上には城あとが残っています。高い石垣に蔦葛がからみついて、それが真紅に染まっているあんばいなど得も言われぬ趣でした。昔は天主閣の建っていた所が平地になって、いつしか姫小松まばらにおいたち、夏草すきまなく茂り、見るからに昔をしのばす哀・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・ 山は頂上で、次の山に連っていた。そしてそれから、また次の山が、丁度、珠数のように遠くへ続いていた。 遠く彼方の地平線まで白い雪ばかりだ。スメターニンはやはり見当がつかなかった。 中隊は、丘の上を蟻のように遅々としてやって来てい・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 村は、歓喜の頂上にある者も、憤慨せる者も、口惜しがっている者も、すべてが悉く高い崖の上から、深い谷間の底へ突き落されてしまった。喜ぶことはやさしかった。高い所から深いドン底へ墜落するのは何というつらいことだろう! 荒された土地には・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・山の頂上を暫らく行くと、又、次の谷間へ下るようになっていた。谷間には沼があった。それが氷でもれ上っていた。沼の向う側には雪に埋れて二三の民屋が見えた。 二人は、まだ一頭も獲物を射止めていなかった。一度、耳の長いやつを狩り出したのであった・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・七月の十三日の午前五時半にツェルマットという処から出発して、名高いアルプスのマッターホルンを世界始まって以来最初に征服致しましょうと心ざし、その翌十四日の夜明前から骨を折って、そうして午後一時四十分に頂上へ着きましたのが、あの名高いアルプス・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・それから襟の一番頂上まで来ると、また立ち止まった。その時女が箸を机の上におくと今虱が這いでてきたところが、かゆいらしく、顎を胸にひいて、後首をのばし、小指でちょっとかいた。龍介はだまっていた。虱はそれから少し今来た方へもどりかけたが、すぐや・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・ 昨年、九月、甲州の御坂峠頂上の天下茶屋という茶店の二階を借りて、そこで少しずつ、その仕事をすすめて、どうやら百枚ちかくなって、読みかえしてみても、そんなに悪い出来ではない。あたらしく力を得て、とにかくこれを完成させぬうちは、東京へ帰る・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・ひるすぎのことであったが、初秋の日ざしはまだ絶壁の頂上に明るく残っていた。学生が、絶壁のなかばに到達したとき、足だまりにしていた頭ほどの石ころがもろくも崩れた。崖から剥ぎ取られたようにすっと落ちた。途中で絶壁の老樹の枝にひっかかった。枝が折・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・ふと、この同じ瞬間、どこかの可哀想な寂しい娘が、同じようにこうしてお洗濯しながら、このお月様に、そっと笑いかけた、たしかに笑いかけた、と信じてしまって、それは、遠い田舎の山の頂上の一軒家、深夜だまって背戸でお洗濯している、くるしい娘さんが、・・・ 太宰治 「女生徒」
出典:青空文庫