・・・その頂点に向かう視線が山頂への視線を越しそうで越さない。風が来ると噴水が乱れ、白樺が細かくそよぎ竹煮草が大きく揺れる。ともかくもここのながめは立体的である。 毎日少しずつ山を歩いていると足がだんだん軽くなる。はじめは両足を重い荷物のよう・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・ 朝からだんだんに醗酵していた私の不満は、この苦しげな大声を再び聞く事によって、とうとう頂点まで進んだものと見える。私は到底堪え切れなくなって席を立った。N君がこれからもう一つの議場へ行こうというのを振り切って出口へ出た。N君が帽子と外・・・ 寺田寅彦 「議会の印象」
・・・草原の真唯中に、何一つ被蔽物もなく全く無限の大空に向って開放された巣の中には可愛い卵子が五つ、その卵形の大きい方の頂点を上向けて頭を並べている。その上端の方が著しく濃い褐色に染まっている。その色が濃くなるとじきに孵化するのだとキャディがいう・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・そうして美しさの頂点に達したときに一度に霜に殺されるそうである。血の色には汚れがあり、焔の色には苦熱があり、ルビーの色は硬くて脆い。血の汚れを去り、焔の熱を奪い、ルビーを霊泉の水に溶かしでもしたら彼の円山の緋鶏頭の色に似た色になるであろうか・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・単になるべく沢山の鳥を殺して猟嚢を膨らませるという目的ならとにかく、獲物と相対してそれに肉薄する緊張が加速度的に増大しつつ最後に頂点に到達するまでの「三昧」の時間に相当の長さのあることだけから見てもこれは決してそれほどつまらないものではない・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・たとえば狩野派・土佐派・四条派をそれぞれこの三角の三つの頂点に近い所に配置して見ることもできはしないか。 それはいずれにしてもこれらの諸派の絵を通じて言われることは、日本人が輸入しまた創造しつつ発達させた絵画は、その対象が人間であっても・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・其暑い頂点を過ぎて日が稍斜になりかけた頃、俗に三把稲と称する西北の空から怪獣の頭の如き黒雲がむらむらと村の林の極から突き上げて来た。三把稲というのは其方向から雷鳴を聞くと稲三把刈る間に夕立になるといわれて居るのである。雲は太く且つ広く空を掩・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・今云った弧線とか曲線とかいう事をそっと砕いてお話をすると、物をちょっと見るのにも、見てこれが何であるかと云うことがハッキリ分るには或る時間を要するので、すなわち意識が下の方から一定の時間を経て頂点へ上って来てハッキリして、ああこれだなと思う・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・勿論俳優の力量という制約があるが、あの大切な、謂わば製作者溝口の、人生に対する都会的なロマンチシズムの頂点の表現にあたって、あれ程単純に山路ふみ子の柄にはまった達者さだけを漲らしてしまわないでもよかった。おふみと芳太郎とが並んで懸合いをやる・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・したがって、西欧の近代文学の中軸として発展してきた一個の社会人として自立した自我の観念も、日本ではからくも夏目漱石において、不具な頂点の形を示した。リアリズムの手法としては、志賀直哉のリアリズムが、洋画史におけるセザンヌの位置に似た存在を示・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
出典:青空文庫