一 行一が大学へ残るべきか、それとも就職すべきか迷っていたとき、彼に研究を続けてゆく願いと、生活の保証と、その二つが不充分ながら叶えられる位置を与えてくれたのは、彼の師事していた教授であった。その教授は自分・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・ 身を返しさま柱の電鈴に手を掛くれば、待つ間あらせず駈けて来る女中の一人、あのね三好さんのところへ行ってね、また一席負かしていただきたいが、ほかにお話しもありますから、お暇ならすぐにおいでを願いたい。とこう言って来ておくれ。急いで、いい・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・継母の腹は言うまでもなく姉のお絹を外に出して自分の子、妹のお松を後に据えたき願い、それがあるばかりにお絹と継母との間おもしろからず理屈をつけて叔父幸衛門にお絹はあずけられかれこれ三年の間お絹のわが家に帰りしは正月一度それも機嫌よくは待遇われ・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・ 天地の大道に則した善き人間となりたいという願い、『教養と倫理学』――の中に私が書いたような青春のなくてならぬもひとつの要請と、やむにやまれぬこの恋のあくがれとを一つに燃えさしめよ。 善によって女性の美を求め、女性の美によって善を豊・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・そして、与助の願いに取り合わなかった。 与助は、生児を抱いて寝ている嚊のことを思った。やっと歩きだした二人目の子供が、まだよく草履をはかないので裸足で冷えないように、小さい靴足袋を買ってやらねばならない。一カ月も前から考えていることも思・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・紹介者に連れて行って貰って、些少の束修――金員でも品物でもを献納して、そして叩頭して御願い申せば、直ちに其の日から生徒になれた訳で、例の世話焼をして呉れる先輩が宿所姓名を登門簿へ記入する、それで入学は済んだ訳なのです。銘々勝手な事を読んで行・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・食となる動物の世界から進化して、尚だ幾万年しか経ない人間社会に在って、常に弱肉強食の修羅場を演じ、多数の弱者が直接・間接に生存競争の犠牲となるのは、目下の所は已むを得ぬ現象で、天寿を全くして死ぬちょう願いは、無理ならぬようで、其実甚だ無理で・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・る 試みに馬から落ちて落馬したの口調にならわば二つ寝て二ツ起きた二日の後俊雄は割前の金届けんと同伴の方へ出向きたるにこれは頂かぬそれでは困ると世間のミエが推っつやっつのあげくしからば今一夕と呑むが願いの同伴の男は七つのものを八つまでは灘・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・「どうでしょう、高瀬君、今度塾へ御願いしました伜の奴は。あれで弟と違って、性質は温順な方なんですがネ。あれは小学校に居る時代から図画が得意でして、その方では何時でも甲を貰って来ましたよ。私が伜に、お前は何に成るつもりだッて聞きましたら、・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・と言い、「お願いがあって来たのです。」と思いつめたような口調で言う。これはいよいよ、ただ事でないと、私も緊張しました。 私は下駄をつっかけて土間へ降り、無言で鶏小屋へ案内しました。雛の保温のために、その小屋には火鉢を置いてあるのです。私・・・ 太宰治 「嘘」
出典:青空文庫