・・・一人として、武士の風上にも置けるような奴は居りません。」「さようさ。それも高田群兵衛などになると、畜生より劣っていますて。」 忠左衛門は、眉をあげて、賛同を求めるように、堀部弥兵衛を見た。慷慨家の弥兵衛は、もとより黙っていない。・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・しかも漢詩漢文や和歌国文は士太夫の慰みであるが、小説戯曲の如きは町人遊冶郎の道楽であって、士人の風上にも置くまじきものと思われていた故、小説戯曲の作者は幇間遊芸人と同列に見られていた。勧善懲悪の旧旗幟を撞砕した坪内氏の大斧は小説其物の内容に・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・この時に当たってである、実に函館全市を焼き払うためにおよそ考え得らるべき最適当の地点と思われる最風上の谷地頭町から最初の火の手が上がったのである。 古来の大火の顛末を調べてみるといずれの場合でも同様な運命ののろいがある。明暦三年の振袖火・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・かかる大切の場合に臨んでは兵禍は恐るるに足らず、天下後世国を立てて外に交わらんとする者は、努ゆめゆめ吾維新の挙動を学んで権道に就くべからず、俗にいう武士の風上にも置かれぬとはすなわち吾一身の事なり、後世子孫これを再演するなかれとの意を示して・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・既に金網をもって防戦されたことを知った心臓は、風上から麦藁を燻べて肺臓めがけて吹き流した。煙は道徳に従うよりも、風に従う。花壇の花は終日濛々として曇って来た。煙は花壇の上から蠅を追い散らした勢力よりも、更に数倍の力をもって、直接腐った肺臓を・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫