・・・何しろ達雄は飯を食うために、浅草のある活動写真館のピアノを弾いているのですから。 主筆 それは少し殺風景ですね。 保吉 殺風景でも仕かたはありません。達雄は場末のカフェのテエブルに妙子の手紙の封を切るのです。窓の外の空は雨になってい・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・それではもういいから行って食うといい。俺しもお前の年ごろの時分には、飯も何も忘れてからに夜ふかしをしたものだ。仕事をする以上はほかのことを忘れるくらいでなくてはおもしろくもないし、甘くゆくもんでもない。……しかし今夜は御苦労だった。行く前に・・・ 有島武郎 「親子」
・・・室だけ借りて置いて、飯は三度とも外へ出て食うことにしたんだよ。A 君のやりそうなこったね。B そうかね。僕はまた君のやりそうなこったと思っていた。A 何故。B 何故ってそうじゃないか。第一こんな自由な生活はないね。居処って奴・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ 三人この処に、割籠を開きて、且つ飲み且つ大に食う。その人も無げなる事、あたかも妓を傍にしたるがごとし。あまつさえ酔に乗じて、三人おのおの、その中三婦人の像を指し、勝手に選取りに、おのれに配して、胸を撫で、腕を圧し、耳を引く。 時に・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・宿についても飲むも食うも気が進まず、新聞を見また用意の本など出してみても、異様に神経が興奮していて、気を移すことはできなかった。見てきた牛の形が種々に頭に映じてきてどうにもしかたがない。無理に酒を一口飲んだまま寝ることにした。 七日と思・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・君の云い方に拠れば、戦争というものは気違いが死を喰うのか、死が気違いを喰うのか分らん。ずどん云う大砲の音を初めて聴いた時は、こおうてこおうて堪らんのやけど、度重なれば、神経が鈍になると云うか、過敏となるて云うか、それが聴えんと、寂しうて、寂・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・それには牛肉で飯を喰うのが一番だ。肉が営養があるというわけではないので、食慾を刺戟するのは肉が一番だから、肉で喰うのが一番飯が余計喰える。」と大食と食後の早足運動を力説した。 鴎外の日本食論、日本家屋論は有名なものだ。イツだっけか忘れた・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・そのうえ、おじいさんは、体がふとっていて働けないせいもあるが、怠け者でなんにもしなかったけれど、けっして食うに困るようなことはありませんでした。「おじいさん、今年は豆がよくできたから持ってきました。どうか食べてください。」「おじいさ・・・ 小川未明 「犬と人と花」
・・・いや、午飯を食うことすらできないのだ。昨夜は夜通し歩いて、今朝町の入口で蒸芋を一銭がとこ求めて、それでとにかく朝は凌いだ。握飯でもいい、午は米粒にありつきたいのだが、蝦蟇口にはもう二銭銅貨一枚しか残っていない。 私はそこの海岸通りへ出た・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・おかしい話ですが、留置所へはいって食う飯のことが目にちらついてならなかった。人間もこうまであさましくなるものかと思いました。が、線路工夫には見つからずにすんで、いわば当てが外れたみたいなものでした。その弁当でいくらか力がついたので、またトボ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫