・・・ 女は涙を呑みながら、くるりと神父に背を向けたと思うと、毒風を避ける人のようにさっさと堂外へ去ってしまった。瞠目した神父を残したまま。……… 芥川竜之介 「おしの」
・・・若者は麦湯を飲みながら、妹の方を心配そうに見てお辞儀を二、三度して帰って行ってしまいました。「Mさんが駈けこんで来なすって、お前たちのことをいいなすった時には、私は眼がくらむようだったよ。おとうさんやお母さんから頼まれていて、お前たちが・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・ 三人この処に、割籠を開きて、且つ飲み且つ大に食う。その人も無げなる事、あたかも妓を傍にしたるがごとし。あまつさえ酔に乗じて、三人おのおの、その中三婦人の像を指し、勝手に選取りに、おのれに配して、胸を撫で、腕を圧し、耳を引く。 時に・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・主人の親父とは頃合いの飲み相手だ、薊は二つめにさされた杯を抑え、「時に今日上がったのは、少し願いがあって来たわけじゃから、あんまり酔わねいうちに話してしまうべい。おッ母さん、おッ母さん、あなたにもここさ来て聞いててもらべい、お千代さん、・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・と、友人は微笑しながら、「まア、もッとお飲み。」傾けた徳利の酒が不足であったので、「おい、お銚子」と、奥へ注意してから、「女房は弱いし、餓鬼は毎日泣きおる、これも困るさかいなア。」「それはお互いのことだア。ね」と、僕が答えるとたん、から・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・そして、吉雄が、そこに見ている間は、まだお湯をば飲みませんでした。 吉雄は、学校へゆくのが、おくれてはならないと思って、やがて、かばんを肩にかけ、弁当を下げて出かけました。 吉雄は、学校へいってから、友だちといろいろ話したときに、自・・・ 小川未明 「ある日の先生と子供」
・・・ しかし、彼はすぐもとの、鈍重な、人の善さそうな顔になり、「肺やったら、石油を飲みなはれ。石油を……」 意外なことを言いだした。「えッ?」 と、訊きかえすと、「あんた、知りはれしまへんのんか。肺病に石油がよう効くとい・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 幾年か前、彼がまだ独りでいて、斯うした場所を飲み廻りほつき歩いていた時分の生活とても、それは決して今の生活と較べて自由とか幸福とか云う程のものではなかったけれど、併しその時分口にしていた悲痛とか悲惨とか云う言葉――それ等は要するに感興・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・利尿剤の水薬を呑み出してから、顔と手の浮腫は漸く退いてゆきましたが、脚がはれ出しました。医師が見える度に問答が始まります。「先生、あなたは暖かくなれば楽になると言われましたが本当ですか。脚が腫れたらもう駄目ではないのでしょうか」「い・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・彼はビールを一と飲みするとまた言葉をついで、「その崖の上へ一人で立って、開いている窓を一つ一つ見ていると、僕はいつでもそのことを憶い出すんです。僕一人が世間に住みつく根を失って浮草のように流れている。そしていつもそんな崖の上に立って人の・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
出典:青空文庫