・・・が、果して寝室の中には、飼い馴れた三毛猫の姿さえ見えない。やはり人がいるような気がしたのは、病的な神経の仕業であった。――と思ったのはしかし言葉通り、ほんの一瞬の間だけである。房子はすぐにまた前の通り、何か眼に見えない物が、この部屋を満たし・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・少女は実際部屋の窓に、緑色の鸚鵡を飼いながら、これも去年の秋幕の陰から、そっと隙見をした王生の姿を、絶えず夢に見ていたそうである。「不思議な事もあればあるものだ。何しろ先方でもいつのまにか、水晶の双魚の扇墜が、枕もとにあったと云うのだか・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・の顔のまわりを飛びめぐり始めた。「てつ」ははっとして目を醒ました。火の玉はもちろんその時にはもうどこかへ消え失せていた。しかし「てつ」の信ずるところによればそれは四、五日前に死んだ「てつ」の飼い猫の魂がじゃれに来たに違いないというのだった。・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・生れたばかりの仔どもの時分から飼いつけた家畜がどんなに可愛いものであるか、それは、飼った経験のある者でなければ分らないことだった。「ロシア人をいじめて、泣いたり、おがんだりするのに、無理やり引っこさげて来るんだからね、――悪いこったよ、・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・ こゝ半年ばかり、健二は、親爺と二人で豚飼いばかりに専心していた。荷車で餌を買いに行ったり、小屋の掃除をしたり、交尾期が来ると、掛け合わして仔豚を作ることを考えたり、毎日、そんなことで日を暮した。おかげで彼の身体にまで豚の臭いがしみこん・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・ラヴ・インポテンス。飼い馴らされた卑屈。まるで、白痴にちかかった。二十世紀のお化け。鬚の剃り跡の青い、奇怪の嬰児であった。 とみにとんと背中を押されて、よろめき、資生堂へはいった。ボックスにふたり向い合って坐ったら、ほかの客が、ちらちら・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ 小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った。そのうちに、ふとあなたの私に対するネルリのような、ひねこびた熱い強烈な愛情をずっと奥底に感じた。ちがう。ちがうと首をふったが、その、冷く装うては・・・ 太宰治 「川端康成へ」
・・・なんにも言えず飼い馴らされた牝豹のように、そのままそっと、辞し去った。お庭の満開の桃の花が私を見送っていて、思わずふりかえったが、私は花を見て居るのではなかった。その満開の一枝に寒くぶらんとぶらさがっている縄きれを見つめていた。あの縄をポケ・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・あなたは、急にお口もお上手になって、私を一そう大事にして下さいましたが、私は自身が何だか飼い猫のように思われて、いつも困って居りました。私は、あなたを、この世で立身なさるおかたとは思わなかったのです。死ぬまで貧乏で、わがまま勝手な画ばかり描・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・○誰か殺して呉れ。○以後、洋服は月賦のこと。断行せよ。○本気になれぬ。○ゆうべ、うらない看てもらった。長生する由。子供がたくさん出来る由。○飼いごろし。○モオツアルト。Mozart.○人のためになって死にたい。・・・ 太宰治 「古典風」
出典:青空文庫