・・・共有地の墓いまなお残りて、松の蔭の処々に数多く、春夏冬は人もこそ訪わね、盂蘭盆にはさすがに詣で来る縁者もあるを、いやが上に荒れ果てさして、霊地の跡を空しゅうせじとて、心ある市の者より、田畑少し附属して養いおく、山番の爺は顔丸く、色煤びて、眼・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・「身を切られるより、貴方の前で、お恥かしい事ですが、親兄弟を養いますために、私はとうから、あの旦那のお世話になっておりますんです。それも棄て、身も棄てて、死ぬほどの思いをして、あなたのお言葉を貫きました。……あなたはここをお立ちになると・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・九十の老齢で今なお病を養いつつ女の頭領として仰がれる矢島楫子刀自を初め今は疾くに鬼籍に入った木村鐙子夫人や中島湘烟夫人は皆当時に崛起した。国木田独歩を恋に泣かせ、有島武郎の小説に描かれた佐々木のぶ子の母の豊寿夫人はその頃のチャキチャキであっ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・浅薄なイデオロギーによって、児童を在来の文化に囚えんとするもの、もしくは、政治的目的意識によって階級観念を植付けんとするもの等であって、人間の全的の感情を養い套習の覊絆から解放し、自由の何たるかを知らせんとする、真の文学の絶無といってもいゝ・・・ 小川未明 「文化線の低下」
・・・そして吉田が病院へ来て以来最もしみじみした印象をうけていたものはこの付添婦という寂しい女達の群れのことであって、それらの人達はみな単なる生活の必要というだけではなしに、夫に死に別れたとか年が寄って養い手がないとか、どこかにそうした人生の不幸・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・いか』と、もっともなる事を言われて、二十八歳の若者、これが普通ならば別に赤い顔もせず何分よろしくとまじめで頼まぬまでも笑顔でうけるくらいはありそうなところなれど吉次は浮かぬ顔でよそを向き『どうして養いましょう今もらって。』『アハハハ・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・わずかの給料でみずから食らい、弟を養い、三年の間、辛苦に辛苦を重ねた結果は三十四年に至って現われ、五郎は技手となって今は東京芝区の某会社に雇われ、まじめに勤労しているのである。 荒雄もまた国を飛びだした。今は正作と五郎と二人でこの弟の処・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・え、さればこの地もまたいつ帰り来て見んことの定め難く、また再び見ることかなうまじきやこれまた計り難ければ、今日は半日この辺りを歩みて一年と五月の間、わが慰めとなり、わが友となり、わが筆を教え、わが情を養いし林や流れや小鳥にまでも別れを告げば・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・ 二十三歳で一高を退き、病いを養いつつ、海から、山へ、郷里へと転地したり入院したりしつつ、私は殉情と思索との月日を送った。そして二十七歳のときあの作を書いた。 私の青春の悩みと憧憬と宗教的情操とがいっぱいにあの中に盛られている。うる・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・男子は独立して妻子を養い得ぬのが普通となり、といって婦人の職業進出はますます男子の職を奪い、その労働条件を低下せしめる。これは今日の社会制度を改革しない限りは初めから無理な相談である。子どもの素質は低下せざるを得ない。ここにおいて前回に述べ・・・ 倉田百三 「婦人と職業」
出典:青空文庫