・・・ 男子家にあるもの少なく、婦女は養蚕の用意に忙しい。おとよは今日の長閑さに蚕籠を洗うべく、かつて省作を迎えた枝折戸の外に出ているのである。抑え難き憂愁を包む身の、洗う蚕籠には念も入らず、幾度も立っては田圃の遠くを眺めるのである。ここから・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・そこは山のなかの寒村で、村は百姓と木樵で、養蚕などもしていた。冬になると家の近くの畑まで猪が芋を掘りに来たりする。芋は百姓の半分常食になっていた。その時はまだ勝子も小さかった。近所のお婆さんが来て、勝子の絵本を見ながら講釈しているのに、象の・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・特に今、母はお浪の源三を連れて帰って来たのを見て、わたしはちょいと見廻って来るからと云って、少し離れたところに建ててある養蚕所を監視に出て行ったので、この広い家に年のいかないもの二人限であるが、そこは巡査さんも月に何度かしか回って来ないほど・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・副業としての養蚕も将来にはあの子を待っていた。それにしても太郎はまだ年も若し、結婚するまでにも至っていない。すくなくも二人もしくは二人半の働き手を要するのが普通の農家である。それを思うと、いかに言っても太郎の家では手が足りなかった。私が妹に・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・綿布麻布が日本の気候に適していることもやはり事実であろうと思われる。養蚕が輸入されそれがちょうどよく風土に適したために、後には絹布が輸出品になったのである。 衣服の様式は少なからずシナの影響を受けながらもやはり固有の気候風土とそれに準ず・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
左の一編は、去月廿三日、府下芝区三田慶応義塾邸内演説館において、同塾生褒賞試文披露の節、福沢先生の演説を筆記したるものなり。 余かつていえることあり。養蚕の目的は蚕卵紙を作るにあらずして糸を作るにあり、教育の・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・ 八月八日農場実習 午前八時半より正午まで 除草、追肥 第一、七組 蕪菁播種 第三、四組 甘藍中耕 第五、六組 養蚕実習 第二組(午后イギリス海岸に於て第三紀偶蹄類の足跡・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・村では、子供でも養蚕の手伝いをした。彼女は、「私しゃ、気味がわるうござんしてね、そんな虫、大嫌さ」と、東京弁で断った。縫物も出来なかった。五月には、「お百姓なんて辛いもんだね、私にゃ半日辛棒もなりませんや」と、肩を動して笑っ・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・ 恭二と栄蔵とは、お君を中にはさんで、両側に、ねそべりながら、田舎の作物の事だの、養蚕の状況などについて話がはずんだ。 そう云う事に暗い恭二が、熱心に、「そうすると、どうなるんです?」などと、深く深く問うて来るのを、・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・信州は養蚕地であるから、本年の繭の高価は一般の農民をうるおしたはずであり、例えば呉服店などで聞けば、今年は去年の倍うれるという。しかしながら、新聞は、繭の高価を見越し、米の上作を見越して債権者はこの秋こそ一気に数年来の貸金をとり立てようとし・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
出典:青空文庫