・・・ある上役や同僚は無駄になった香奠を会費に復活祝賀会を開いたそうである。もっとも山井博士の信用だけは危険に瀕したのに違いない。が、博士は悠然と葉巻の煙を輪に吹きながら、巧みに信用を恢復した。それは医学を超越する自然の神秘を力説したのである。つ・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・そこで、帳面や香奠をしまつしていると、向こうの受付にいた連中が、そろってぞろぞろ出て来た。そうして、その先に立って、赤木君が、しきりに何か憤慨している。聞いてみると、誰かが、受付係は葬儀のすむまで、受付に残っていなければならんと言ったのだそ・・・ 芥川竜之介 「葬儀記」
・・・ 赤坊が死んでから村医は巡査に伴れられて漸くやって来た。香奠代りの紙包を持って帳場も来た。提灯という見慣れないものが小屋の中を出たり這入ったりした。仁右衛門夫婦の嗅ぎつけない石炭酸の香は二人を小屋から追出してしまった。二人は川森に付添わ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 二 ここに、杢若がその怪しげなる蜘蛛の巣を拡げている、この鳥居の向うの隅、以前医師の邸の裏門のあった処に、むかし番太郎と言って、町内の走り使人、斎、非時の振廻り、香奠がえしの配歩行き、秋の夜番、冬は雪掻の手伝い・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ と言って香奠がわりに持って来る人もあった。それくらい酒好きで通っていたのだ。 そして、それほど好きな酒を、いやというほど飲んだのだから、結局はしあわせな人ということになったらしい。 世間には好きな酒を飲めない人が沢山いるから、・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・彼等の一人なるYから、亡父の四十九日というので、彼の処へも香奠返しのお茶を小包で送って来た。彼には無論一円という香奠を贈る程の力は無かったが、それもKが出して置いて呉れたのであった。Yの父が死んだ時、友人同士が各自に一円ずつの香奠を送るとい・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・それでは今夜はひとつゆっくりと、おやじの香典で慰労会をさしてもらおうじゃないか」 連日の汗を旅館の温泉に流して、夕暮れの瀬川の音を座敷から聴いて、延びた頤髯をこすりながら、私はホッとした気持になって言った。「まあこれで、順序どおりに・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・私はまた、次郎や末子の見ているところでこころざしばかりの金を包み、黒い水引きを掛けながら、「いくら不景気の世の中でも、二円の香奠は包めなくなった。お前たちのかあさんが達者でいた時分には、二円も包めばそれでよかったものだよ。」 と言っ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・猿類、女類、男類、か。香典千円ここへ置いて行くぜ。」 太宰治 「女類」
・・・これが本葬で、香奠は孰にしても公に下るのが十五円と、恁云う規則なんでござえんして…… それで、『大瀬、お前は晴二郎の死骸を、此まま引取って行くか、それとも此方で本葬をして骨にして持って行くか、孰でも其方の都合にするが可い』と、まあ恁う仰・・・ 徳田秋声 「躯」
出典:青空文庫