・・・仁右衛門はそんな事には頓着なく朝から馬力をひいて市街地に出た。運送店の前にはもう二台の馬力があって、脚をつまだてるようにしょんぼりと立つ輓馬の鬣は、幾本かの鞭を下げたように雨によれて、その先きから水滴が絶えず落ちていた。馬の背からは水蒸気が・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・荒神橋には自転車が通り、パラソルや馬力が動いていた。日蔭は磧に伸び、物売りのラッパが鳴っていた。 五 喬は夜更けまで街をほっつき歩くことがあった。 人通りの絶えた四条通は稀に酔っ払いが通るくらいのもので、夜霧はア・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・夜、帰りの遅れた馬力が、紙で囲った蝋燭の火を花束のように持って歩いた。行一は電車のなかで、先刻大槻に聞いた社会主義の話を思い出していた。彼は受身になった。魔誤ついた。自分の治めてゆこうとする家が、大槻の夢に出て来た切符売場のように思えた。社・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・だから街道は日によってはその樹脂臭い匂いや、また日によっては馬力の通った昼間の匂いを残していたりするのだった。 橋を渡ると道は溪に沿ってのぼってゆく。左は溪の崖。右は山の崖。行手に白い電燈がついている。それはある旅館の裏門で、それまでの・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・エンジンの音が、ここぞと強く馬力をかけた。本気になったのである。速力は、十五節。寒い。私は新潟の港を見捨て、船室へはいった。二等船室の薄暗い奥隅に、ボオイから借りた白い毛布にくるまって寝てしまった。船酔いせぬように神に念じた。船には、まるっ・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・同様なわけで器械の工率のディメンションは時間のマイナス三乗を含むから、映写機のハンドルを二倍の速さで回せば、一馬力の器械が八馬力を出して見えるのである。もっともこれは映像の質量と距離とをほぼ正当に評価し想定するためにそうなるのであって、もし・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・力も二十馬力もある。第一みかけがまっ白で、牙はぜんたいきれいな象牙でできている。皮も全体、立派で丈夫な象皮なのだ。そしてずいぶんはたらくもんだ。けれどもそんなに稼ぐのも、やっぱり主人が偉いのだ。「おい、お前は時計は要らないか。」丸太で建・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・「いいえね、理論の上からではここの水は半馬力の発動機できっと上る筈だと云うんだよ。自分がそう主張して半馬力のを据えつけたんだから、どうしてもそれでやらなけりゃ面目が潰れるって云うんで、幾度も幾度もなおすんだがね――無理なのさ」「――・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
・・・ズックの袋に入れて札をつけた白米が店の奥に山とつまれた。馬力で米俵が運ばれて来たりした。東京市内だけでも一日に何軒とかの割合で米屋が倒れて行く。そういう話がある折であったから通りすがりに見るこの米屋の大活況は何となし感じに来るものがあるので・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・やがて、ギーアをかえ爆音つよし「ほらのぼりだな、音でわかっるね、こういう音は馬力を出して居るに違いない 音でわかりますよ」 うるさい、うるさい H・Kのいたずら 文学少女が来る。「私小説かきたいんですが」・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
出典:青空文庫