・・・皇子は御殿から外に出られますときは、いつも黒い馬車に乗っていられます。そして、いつも皇子は、黒のシルクハットをかぶり、燕尾服を着ておいでになります。そして片目なので、黒の眼鏡をかけておいでになるということです。」と申しあげました。 お姫・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
私は気の早い男であるから、昭和二十年元旦の夢をはや先日見た。田舎道を乗合馬車が行くのを一台の自動車が追い駈けて行く、と前方の瀬戸内海に太陽が昇りはじめる、馬車の乗客が「おい、見ろ、昭和二十年の太陽だ」という――ただそれだけ・・・ 織田作之助 「電報」
・・・つい、四五日前まで船に乗って渡っていた、その河の上を、二頭立の馬に引かれた馬車が、勢いよくがらがらと車輪を鳴らして走りだした。防寒服を着た支那人が通る。 サヴエート同盟の市街、ブラゴウエシチェンスクと、支那の市街黒河とを距てる「海峡」は・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・午後二時というに上野を出でて高崎におもむく汽車に便りて熊谷まで行かんとするなれば、夏の日の真盛りの頃を歩むこととて、市中の塵埃のにおい、馬車の騒ぎあえるなど、見る眼あつげならざるはなし。とある家にて百万遍の念仏会を催し、爺嫗打交りて大なる珠・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ にげるについて一ばんじゃまになったのは、いろんなものをはこびかけている、車や馬車や自動車です。多くのところではそれが往来に一ぱいつづきはだかっているので、歩こうにも出ようにもあがきがとれなかったと言います。そんなところでは、ただぎゅう・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・お忘れかもしれないけれど、かれこれ二十年ちかくまえ、私はKで馬車やをしていました」 Kとは、私の生れた村の名前である。「ごらんの通り」私は、にこりともせずに応じた。「私も、いまは落ちぶれました」「とんでもない」お巡りは、なおも楽・・・ 太宰治 「黄金風景」
・・・私はそこの垣の畔、寺の庭、霜解けの道、乗合馬車の中、いたるところに小林君の生きて動いているのを見た。 H町の寺に行くと、いつもきまって私はその墓の前に立った。 そこにはすでに友人たちの立てた自然石の大きな石碑が立てられてあった。そこ・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・「駅逓馬車」による永い旅路の門出の場面などでも、こうした映画の中で見ていると、いつの間にか見ている自分が百年前のワルシャウの人になってしまう。そうして今までに読んだ物語や伝記の中の色々の類似の場面などが甦って眼前に活動するような気がする。そ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・父は官を辞した後商となり、その年の春頃から上海の或会社の事務を監督しておられたので、埠頭に立っていた大勢の人に迎えられ、二頭立の箱馬車に乗った。母とわたくしも同じくこの馬車に乗ったが、東京で鉄道馬車の痩せた馬ばかり見馴れた眼には、革具の立派・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・場所である、余が監督官は巡査の小言に胆を冷したものか乃至はまた余の車を前へ突き出す労力を省くためか、昨日から人と車を天然自然ところがすべく特にこの地を相し得て余を連れだしたのである、 人の通らない馬車のかよわない時機を見計ったる監督官は・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
出典:青空文庫