・・・「よし、よし、そう私を莫迦にするんなら、まだお前は痛い目に会い足りないんだろう」 婆さんは眼を怒らせながら、そこにあった箒をふり上げました。 丁度その途端です。誰か外へ来たと見えて、戸を叩く音が、突然荒々しく聞え始めました。・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・「もうだいぶ晩くなりましたから夕食にしたらどうでしょう」 と言ってみた。それを聞くと父の怒りは火の燃えついたように顔に出た。「馬鹿なことを言うな。この大事なお話がすまないうちにそんな失礼なことができるものか」 と矢部の前で激・・・ 有島武郎 「親子」
・・・シュッチュカ奴。馬鹿な奴だ。己れはどうもしやしない。」 そこで犬は小股に歩いて、百姓の側へ行掛かった。しかしその間に百姓の考が少し変って来た。それは今まで自分の良い人だと思った人が、自分に種々迷惑をかけたり、自分を侮辱したりした事がある・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・B しかし今度のは葉書では済まん。A どうしたんだ。何日かの話の下宿の娘から縁談でも申込まれて逃げ出したのか。B 莫迦なことを言え。女の事なんか近頃もうちっとも僕の目にうつらなくなった。女より食物だね。好きな物を食ってさえいれあ・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ 火事だ火事だと、男も女も口々に――「やあ、馬鹿々々。何だ、そんな体で、引込まねえか、こら、引込まんか。」 と雲の峰の下に、膚脱、裸体の膨れた胸、大な乳、肥った臀を、若い奴が、鞭を振って追廻す――爪立つ、走る、緋の、白の、股、向・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ル曰く妾宅別荘、さもなければ徒に名利の念に耽って居る輩金さえあれば誰にも出来る下劣な娯楽、これを事とする連中に茶の湯の一分たりと解るべき筈がない、茶の湯などの面白味が少しでも解る位ならば、そんな下等な馬鹿らしい遊びが出来るものでない、故・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・僕のではない、他の中隊の一卒で、からだは、大けかったけど、智慧がまわりかねた奴であったさかい、いつも人に馬鹿にされとったんが『伏せ』の命令で発砲した時、急に飛び起きて片足立ちになり、『あ、やられた! もう、死ぬ! 死ぬ!』て泣き出し、またば・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・イツだっけか忘れたが、この頃は馬鹿に忙がしいというから、何が忙がしいかと訊くと、毎日々々壁土の分析ばかりしているといった。この研究が即ち日本家屋論の一部であった。この日本食論と日本家屋論の或るものは独逸文で書かれて独逸の学界で発表されたから・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・この高い油を使って本を読むなどということはまことに馬鹿馬鹿しいことだといって読ませぬ。そうすると、黙っていて伯父さんの油を使っては悪いということを聞きましたから、「それでは私は私の油のできるまでは本を読まぬ」という決心をした。それでどうした・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ もし今日の知識階級と名の付く者の中に、社会主義的精神の分らない者があったなら、其者は馬鹿とか利巧とか評される前に恐らく良心がないかを疑われるであろう。正邪、善悪のあまり明かな事実を見ているにかゝわらず、彼の心には、何の感激もないからで・・・ 小川未明 「草木の暗示から」
出典:青空文庫