・・・ さて本文の九に記せる、菊地弥之助と云う老人は若き頃駄賃を業とせり。笛の名人にて、夜通しに馬を追いて行く時などは、よく笛を吹きながら行きたり。ある薄月夜にあまたの仲間の者と共に浜へ越ゆる境木峠を行くとて、また笛を取出して吹きすさ・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・見なさる通りの書生坊で、相当、お駄賃もあげられないけれど、中の河内まで何とかして駕籠の都合は出来ないでしょうか。」「さればの。」耳にかけた輪数珠を外すと、木綿小紋のちゃんちゃん子、経肩衣とかいって、紋の着いた袖なしを――外は暑いがもう秋だ―・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・ お駄賃に、懐紙に包んだのを白銅製のものかと思うと、銀の小粒で……宿の勘定前だから、怪しからず気前が好い。 女の子は、半分気味の悪そうに狐に魅まれでもしたように掌に受けると――二人を、山裾のこの坂口まで、導いて、上へ指さしをした――・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・「オウ常さん、今日は駄賃かな。大変早く御精が出ますね」「ハア吾々なんざア駄賃取りでもして適に一盃やるより外に楽しみもないんですからな。民子さん、いやに見せつけますね。余り罪ですぜ。アハハハハハ」 この野郎失敬なと思ったけれど、吾・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・は、もう、国府津に足を洗うのは――はたしてきょう、あすのことだか、どうだか分りもしないのに――大丈夫と思い込み、跡は野となれ、山となれ的に楽観していて、田島に対しもし未練がありとすれば、ただ行きがけの駄賃として二十円なり、三十円なりの餞別を・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 僕は家で最中困った時には、馬を買って駄賃までつけたんですからね」 惣治は今に始まらぬ兄の言うことのばかばかしさに腹が立つよりも、いつになったらその創作というものができて収入の道が開けるのか、まるで雲を攫むようなことを言ってすましていら・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・その馬士というのはまだ十三、四の子供であったが、余はこれと談判して鳥井峠頂上までの駄賃を十銭と極めた。この登路の難儀を十銭で免れたかと思うと、余は嬉しくって堪まらなかった。しかしそこらにいた男どもがその若い馬士をからかう所を聞くと、お前は十・・・ 正岡子規 「くだもの」
出典:青空文庫