・・・ と俯向いて探って、鉄縁の時計を見た。「零時四十三分です。この汽車は八分に着く。…… 令嬢の御一行は、次の宿で御下車だと承ります。 駅員に御話しになろうと、巡査にお引渡しになろうと、それはしかし御随意です。 また、同室の・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 目をつむって、耳を圧えて、発車を待つのが、三分、五分、十分十五分――やや三十分過ぎて、やがて、駅員にその不通の通達を聞いた時は! 雪がそのままの待女郎になって、手を取って導くようで、まんじ巴の中空を渡る橋は、さながらに玉の桟橋かと・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ 十 年若い駅員が、「貴方がたは?」 と言った。 乗り余った黒山の群集も、三四輛立続けに来た電車が、泥まで綺麗に浚ったのに、まだ待合所を出なかった女二人、と宗吉をいぶかったのである。 宗吉は言った・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・自分は駅員の集合してる所に到って、かねて避難している乳牛を引上げるについてここより本所停車場までの線路の通行を許してくれと乞うた。駅員らは何か話合うていたらしく、自分の切願に一顧をくれるものも無く、挨拶もせぬ。 いかがでしょうか、物の十・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ 薄暗い駅に降り立つと、駅員が、「信濃追分! 信濃追分!」 振り動かすカンテラの火の尾をひくような、間のびした声で、駅の名を称んでいた。乗って来た汽車をやり過して、線路をこえると、追分宿への一本道が通じていた。浅間山が不気味な黒・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・妙な時刻に着いたものだと、しょんぼり佇んでいると、カンテラを振りまわしながら眠ったく駅の名をよんでいた駅員が、いきなり私の手から切符をひったくった。 乗って来た汽車をやり過してから、線路を越え、誰もいない改札口を出た。青いシェードを掛け・・・ 織田作之助 「秋深き」
夜の八時を過ぎると駅員が帰ってしまうので、改札口は真っ暗だ。 大阪行のプラットホームにぽつんと一つ裸電燈を残したほか、すっかり灯を消してしまっている。いつもは点っている筈の向い側のホームの灯りも、なぜか消えていた。・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・ 佐伯が帰って来る頃には、改札口のほの暗い電燈をぽつんと一つ残して、あたりはすっかり明りを消してしまっている。駅員室のせまい暗がりのなかでふと黒く蠢いたのは、たぶん宿直の駅員が終電車の著いた音で眼をさましたのであろう。しかし起きて来る気・・・ 織田作之助 「道」
・・・ 停車場には、駅員の外、誰れもいなくなった。おきのは、悄々と、帰りかけた。彼女は、一番あとから、ぼつ/\行っている呉服屋の坊っちゃんに、息子のことを訊ねようと考えた。坊っちゃんは、兄の若旦那と、何事か――多分試験のことだろう――話しあっ・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・それを朝から来ていて、終列車の出る頃まで、赤い帽子をかぶつた駅員が何度追ツ払おうが、又すぐしがみついてくる「浮浪者」の群れがある。雪が足駄の歯の下で、ギユンギユンなり、硝子が花模様に凍てつき、鉄物が指に吸いつくとき、彼等は真黒になつたメリヤ・・・ 小林多喜二 「北海道の「俊寛」」
出典:青空文庫