・・・ お光は店を揚って、脱いだ両刳りの駒下駄と傘とを、次の茶の間を通り抜けた縁側の隅の下駄箱へ蔵うと、着ていた秩父銘撰の半纏を袖畳みにして、今一間茶の間と並んだ座敷の箪笥の上へ置いて、同じ秩父銘撰の着物の半襟のかかったのに、引ッかけに結んだ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・の軒先には羽虫の群れ輪をなして飛ぶが夕日に映りたる、鍛冶の鉄砧の音高く響きて夕闇に閃く火花の見事なる、雨降る日は二十ばかりの女何事をかかしましく叫びつ笑いて町の片側より片側へとゆくに傘ささず襟頸を縮め駒下駄つまだてて飛ぶごとに後ろ振り向くさ・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・も老人らしく似つこらしい打扮だが、一人の濃い褐色の土耳古帽子に黒い絹の総糸が長く垂れているのはちょっと人目を側立たせたし、また他の一人の鍔無しの平たい毛織帽子に、鼠甲斐絹のパッチで尻端折、薄いノメリの駒下駄穿きという姿も、妙な洒落からであっ・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・とお辞儀をして廻らなければならなくなった。駒下駄で顔を殴られ、その駒下駄を錦の袋に収め、朝夕うやうやしく礼拝して立身出世したとかいう講談を寄席で聞いて、実にばかばかしく、笑ってしまったことがあったけれど、あれとあんまり違わない。大芸術家にな・・・ 太宰治 「鬱屈禍」
・・・からころと駒下駄の音が私を追いかけ、私のすぐ背後まで来てから、ゆっくりあるいて、あたし、きめてしまいました。もう、大丈夫よ、先刻までの私は、軽蔑されてもしかたがないんだ。 ――非常に素直な人なんだね。 ――そうです、そうです。判って・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・桐の駒下駄と、林檎を一籠いただいた。山岸さんは註釈を加えて、「僕のうちでも、林檎と駒下駄をもらった。林檎はまだ少しすっぱいようだから、二、三日置いてたべるといいかも知れない。駒下駄は僕と君とお揃いのを一足ずつ。気持のいいお土産だろう?」・・・ 太宰治 「散華」
・・・袴をはいて、新しい駒下駄をはいていた。私がフェルト草履を、きらうのは、何も自分の蛮風を衒っているわけではない。フェルト草履は、見た眼にも優雅で、それに劇場や図書館、その他のビルディングにはいる時でも、下駄の時のように下足係の厄介にならずにす・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・毎日の食事時にはこの娘が駒下駄の音をさせて迎えに来る。土地のなまった言葉で「御飯おあがんなさいまっせ」と言い捨ててすたすた帰って行く。初めはほんの子供のように思っていたが一夏一夏帰省して来るごとに、どことなくおとなびて来るのが自・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・「ああいう人たちのはく下駄は大抵籐表の駒下駄か知ら。後がへって郡部の赤土が附着いていないといけまいね。鼻緒のゆるんでいるとこへ、十文位の大きな足をぐっと突込んで、いやに裾をぱっぱっとさせて外輪に歩くんだね。」「それから、君、イとエの・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・ 絹の重ね着をして、年よりずっとはでな羽織を着、籐表ての駒下駄を絹足袋の□(にひっかけて居る。 強い胡麻塩の髪をぴったり刈りつけて、額が女の様に迫って頬には大きな疵がある政の様子は、田舎者に一種の恐れを抱かせるに十分であった。 ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
出典:青空文庫