・・・入口に騒がしい物音が近づいた。ゴロ寝をしていた浜田たちは頭をあげた。食糧や、慰問品の受領に鉄道沿線まで一里半の道のりを出かけていた十名ばかりが、帰ってきたのだ。 宿舎は、急に活気づいた。「おい、手紙は?」 防寒帽子をかむり、防寒・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・あれに比べると外の多くの騒がしい絵は、云わば腹のへっているのに無闇に大きな声を出しているような気のするものである。真に美しいものは大人しく黙っている。しかしそれはいつまでも見た人の心に美しい永遠の響を留める。そしてその余韻は、その人の生活を・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・右の方の席からも騒がしい声が聞こえた。 議長が、それでは唯今の何とかを取消します、というたようであった。すると、また隅々からわあっという歓声とも怒号とも分らぬ声が聞こえた。 和服を着た肥った老人が登壇した。何か書類のようなものを鷲握・・・ 寺田寅彦 「議会の印象」
・・・あの時の楽隊の騒がしい喇叭のはやしはまだ耳に残っている。そこらの氷店へはいって休んだ時には、森の中にあふるる人影がちらついて、赤い灯や青い旗を吹く風も涼しく、妹婿がいつもの地味な浴衣をくつろげ姪にからかいながらラムネの玉を抜いていた姿があり・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・夜は荷積みで騒がしい。四月十二日 朝から汗が流れる。桟橋にはいろいろの物売りが出ている。籐のステッキ、更紗、貝がら、貝細工、菊形の珊瑚礁、鸚鵡貝など。 出帆が近くなると甲板は乗客と見送りでいっぱいになった。けさ乗り込んだ二等客の・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・船にいくじがなくて、胸に込み上げる不快の感覚をわずかにおさえつけて少時の眠りを求めようとしている耳元に、かの劣悪なレコードの発する奇怪な音響と騒がしい旋律とはかなりに迷惑なものの一つである。それが食堂で夜ふけまで長時間続いていた傍若無人の高・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・心が急くのと、わきが騒がしいので思う事の万分一も書けぬ。「御身の髪は猶わが懐にあり、只この使と逃げ落ちよ、疑えば魔多し」とばかりで筆を擱く。この手紙を受取ってクララに渡す者はいずこの何者か分らぬ。その頃流行る楽人の姿となって夜鴉の城に忍び込・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・金魚売は自分の前に並べた金魚を見つめたまま、頬杖を突いて、じっとしている。騒がしい往来の活動にはほとんど心を留めていない。自分はしばらく立ってこの金魚売を眺めていた。けれども自分が眺めている間、金魚売はちっとも動かなかった。第九夜・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・彼は、騒がしい「おもて」を想像していた。 おもての中は、然し、静かであった。彼は暫く闇に眼を馴らした後、そこに展げられた絵を見た。 チェンロッカーの蓋の上には、安田が仰向きに臥ていた。 三時間か四時間の間に、彼は茹でられた菜のよ・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・時に近頃隣の方が大分騒がしいが何でも華族か何かがやって来たようだ。華族といや大そうなようだが引導一つ渡されりャ華族様も平民様もありゃアしない。妻子珍宝及王位、臨命終時不随者というので御釈迦様はすました者だけれど、なかなかそうは覚悟しても居な・・・ 正岡子規 「墓」
出典:青空文庫