・・・「そうだ。高浜虚子というおじいさんもいるし、川端龍子という口髭をはやした立派な紳士もいる。」「みんな小説家?」「まあ、そうだ。」 それ以来、その洋画家は、新宿の若松屋に於いては、林先生という事になった。本当は二科の橋田新一郎・・・ 太宰治 「眉山」
高浜さんとはもうずいぶん久しく会わないような気がする。丸ビルの一階をぶらつく時など、八階のホトトギス社を尋ねて一度昔話でもしてみたいような気のすることがある。今度改造社から「虚子の人と芸術」について何か書けと言われたについ・・・ 寺田寅彦 「高浜さんと私」
・・・のつづきを朗読するのはいつも高浜さんであったが、先生は時々はなはだきまりの悪そうな顔をして、かたくなって朗読を聞いていたこともあったようである。 自分が学校で古いフィロソフィカル・マガジンを見ていたらレヴェレンド・ハウトンという人の「首・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・殊にこの頃では伊藤、河東、高浜その他の諸子を煩わして一日替りに看病に来てもらうような始末になったので、病人の苦しいことは今更いうまでもないが、看病人の苦しさは一通りでないということを想像すればするほど気の毒で堪らなくなる。勿論看病のしかたは・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
ありふれた従来の日本文学史をみると、明治三十年代に写生文学というものをはじめて提唱した文学者として正岡子規、高浜虚子や『ホトトギス』派のことは出て来るが、長塚節のことはとりたてて触れられていない。 明治十二年に茨城県の・・・ 宮本百合子 「「土」と当時の写実文学」
出典:青空文庫